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1985 年年 9 月 22 日、「プラ ザ合意」を発表した先進5ヵ国 の蔵相・中央銀行総裁たち。
(上段左から)西ドイツ / ゲルハ ルト・シュトルテンベルク、フ ランス / ピエール・ベレゴヴォ ワ、アメリカ / ジェイムズ・ベ イカー
(下段左から)イギリス / ナイ ジェル・ローソン、日本 / 竹下 登
巨大なマイナス効果の根源 「プラザ合意」
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自身は保護主義に反対 Untitled, (Detail 44) なのだが、日本が市場を
ョンプログラム」を公表 したうえ、通産省が産 業界に輸入拡大策のヒ アリングをして、産業界 は 億ドルの輸入増加 計画を提示したが、対 米貿易黒字の削減には ほとんど効果がなかった。  ドル相場が高めに推 移したことも、アメリカ に輸出減少と輸入拡大 による大幅な貿易赤字 をもたらす大きな要因 だった。インフレ抑止に 重きを置いたポール・ヴ ォルカー議長の
衡に注目が集まっていた。  そうした状況下、 年1月にワシントンで開 かれた 5蔵相・中央 銀行総裁会議で、ドル 高の改善が最大のテーマ となった。それまで秘密 会形式だった 5が、こ の時初めて合意内容を 公表し、「必要に応じ た通貨市場への介入」が 合意事項として書き込 まれた。その後の報道 で、1ドル=255〜 256円がアメリカ通 貨当局による介入の基 準点とされた。  この会議に先立ち、レ ーガン政権は「強いドル」 重視のドナルド・リー ガン財務長官を、ジェー ムズ・ベイカー大統領 首席補佐官に交代させ、 ドル高政策転換の口火 を切っていた。ベイカー 長官はアメリカ単独での 市場介入には必ずしも 積極的でなく、日本には、 内需拡大による貿易黒 字の削減と、金融自由 化で資本流出を抑制す るなど、円安ドル高を 修正するマクロ経済政策 の実施を強く求めてき た。  6月に東京で開かれ た先進 ヵ国蔵相会議
の時の日米蔵相会談で、 とは明白で、発表翌日
国際ジャーナリスト 内田 忠男
開かないと、議会の対日
の 日だけで1ドルは 235円から約 円下 落、1年後には150 円台まで円高が進んだ。   急速な円高で不況に 落ちるのを懸念した日銀
 1985年9月 日 拡大要因になった。さら
に成立した「プラザ合意」 に、「レーガノミクス」で
について述べたい。先進 アメリカ経済を急回復さ
5ヵ国( 5=日・米・ せたレーガン政権が、「経
西独・英・仏)の蔵相・ 済的にも軍事的にも強い
中央銀行総裁がニューヨ アメリカ」を呼号したこ
ークのプラザホテルで緊 ともあって財政支出が大
急会合して通貨市場への きく膨らむ一方、好景気
協調介入を決め、急速 の到来で個人消費が伸
な円高ドル安を進める発 びたことで輸入額が急
端となった。 増、財政と国際収支の、 き、「輸入制限を含む適 力、2輸入制限品目の   年に就任したロナ いわゆる「双子の赤字」 当で可能なあらゆる対抗 さらなる削減、3基準 ルド・レーガン大統領は を抱えることになった。  措置を大統領に求める」 認証・輸入手続きを国
「強いアメリカの再生」  ドル高と国際収支の赤 決議を全会一致で可決、 際水準に合わせて簡素・
(連邦準備制度)がとった 高金利政策で民間投資 は抑制され、需給バラ ンスが改善された結果、 インフレからの脱出に
を掲げた選挙公約に基 字拡大の背景にも、連邦 づく「レーガノミクス」で、 政府が生み出した財政 〜 年には経済成長 赤字による効果が大きか 率が7%近くに達する好 った。財政出動による景 景気を呼んだ。 気刺激策が消費者の購   年代にはベトナムか 買力を高め、輸入拡大 らの敗退に加え、ウオ をもたらした。日本企 ーターゲイト事件という 業は、そうした需要増に 「大統領の犯罪」が明る 機敏に反応して対米輸出 みに出て、アメリカとい を増やし、またアメリカ う国家の正義に確信が の高金利が日本の対米 失われた。そこに2度に 投資を促進する要因に わたる石油危機で経済 もなって国際収支の不均
4月初めには上院財政 透明化し行政の裁量余
委が、この決議に法的拘 地を縮小、4政府によ
束力を持たせるための対 る外国産品調達拡大に
日報復法案を可決した。 向け契約手続きを改善、 は成功したが、国際収 5月初めに西独のボンで 5金融・資本・サービ 支が大幅な赤字となり、 開かれた 7首脳会議で ス部門の一層の自由化― とりわけ、円安ドル高 は、レーガン大統領が「私 ―などを並べた「アクシ がもたらす貿易の不均
は不況下の物価上昇= 衡を増幅していた。 stagflationと呼ばれる不  しかしアメリカ側には 振に沈み、起死回生を担 「双子の赤字」の元凶は
ったカーター政権が無策 日本からの無秩序な輸 に終始するなど、八方 入拡大だとする空気が 塞がりの時代だった。レ 急速に広がる。 ーガン政権が誕生した   年初めに開かれた日 年代前半のアメリカは、 米首脳会談で、レーガン カーター政権置き土産の 大統領は中曽根康弘首
( 5にイタリア、カナ ダ、オランダ、ベルギー、 スウェーデン)では、「各 国が合意できれば進ん で為替市場に協調介入 すべきだ」という一項が 声明に書き込まれた。こ
欧州諸国の主張で「市場 介入」は明記されず、ア メリカの主張で、政策 協調の目的が「ドルの切 り下げ」でなく「他国通 貨の切り上げ」と表現さ れていた。文面の如何 にかかわらず、この合 意が「円高」への修正を 最大の標的としていたこ
日本人は好景気というも のを一度も体感していな い。このようにプラザ合 意はさまざまな側面に巨 大なマイナス効果をもた らす根源となった。  この円高政策を主導し た中曽根首相、竹下蔵 相の責任はまことに重い。
%という高金利目当て 相に「貿易は双方向であ に世界中の投機マネーが るべきだ」として、日本 集中したことでドル高と 側の市場開放によるアメ なり、それが貿易赤字の リカ産品の輸入拡大を
(つづく)
報復立法を阻止できな 強く迫った。国際収支の い。法案の上程をボンサ 赤字を、輸入制限でなく、 ミットが終わるまで待って 自国の輸出拡大で減らそ 欲しいと頼み込んで、や うという正当な要求だっ っと先送りさせている状 たが、日本側の動きは例 態だ」と自らの苦境を訴
によって鈍い。3月末に えた。 は連邦議会上院が、日  対応策を迫られた中 本の不公正な貿易慣行 曽根政権は、1先進国 に対抗するため、 年 合意の下、工業製品の 通商法301条に基づ 関税を全廃するよう努
市場開放を求めるベイ
カー長官に対し、竹下
登蔵相は「通貨市場への
協調介入」を提案したと
言われる。一説には「
%程度の円高には対応
する」とも伝えたという。 (澄田智総裁)は金融引 当時の中曽根政権は、 き締めには動かず、日 米側が迫る市場開放よ 本企業の驚異の対応力 り円高容認で貿易不均 を示した一方で、超低 衡を改善しようとした 金利政策の影響でカネ のだ。小手先の悪手だっ 余りが顕著となる。そ たが、これで一気に「円 れが不動産や証券投資 高介入」への道が開ける。 などに集中して狂気に近 マルフォード財務次官補 いバブル景気を出現させ と大場智満・大蔵省財 た。 務官が7〜8月にかけ  一方、ドル安で輸出競 協調介入に向けた案文 争力を高めるはずのアメ 作成にあたり、これを リカでは、貿易赤字に劇 西独・英・仏に持ち回 的変化はなく、逆に過 りしたうえ、9月 日 度のドル安がインフレ圧 にロンドンで 5各国の 力を増す懸念が広がり、 事務方トップが秘密裏に 年2月には、ドル安 会合、最終案を仕上げ を防ぐためのルーブル合 た。翌週日曜日の 日、 意に行き着いたが、ボタ ニューヨークのプラザホテ ンの掛け違いは修正でき ルで急遽開かれることに ず、ドルの下落を止めら なった 5蔵相・中央銀 れなかった。 行総裁会議はあっけない  日本経済は、バブル経 ほどの短時間で終わった。 済崩壊後、「失われた  集まった私たち報道陣 年」と言われる不況の底 は、合意文書のコピー に呻吟することとなり、 を渡され、声明文では、 年代以降に生まれた


































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