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  ヴァウェンサ連帯議長 Lech Wałęsa, August 1980
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 ポーランドへの旅はま だ終わらなかった。自主 管理労組「連帯」の自由 化運動に揺れる同国を 取材しながら、主人公 であるレフ・ヴァウェン サ議長にはまだ会えてい ない。
国際ジャーナリスト 内田 忠男 出した。 始めた。
 連帯は、 この年、 1981年4月までに国 内主要 工場に配下の 労組を組織し、各県ご との支部創設に動いてい た。そうした中、ワル シャワ近郊の地方都市の 大会に彼が出席するとの 情報で、夏に入って、私 たちはポーランドを再再 訪した。  公会堂のような建物 で大会は開かれていた。 むろん、すべての議事は ポーランド語で進められ ていたから私たちには内 容が分からないが、昼 前に日程が終わり、ヴァ ウェンサと話ができるこ とになった。演壇下の座 席を即席の会見場にし、 彼がやってきた。  マイクのテストなど始 めると、ヴァウェンサは 大声で何か喋っている。 「何をグズグズしてる。 早く始めよう」と言って いるという。 私が英語 で質問をし、彼の側近 の一人がそれをポーラ ンド語にして伝える形 で、私が第一問を切り
私としては、その後に「要 求のゴールをどの辺に置 いているのか」と聞くつ もりだった。共産主義の 全面廃棄か、現体制の 中での改革に止めるの か、自由化をどこまで 実現することを望んでい るのか、聞き出したかっ たのである。ところがー ー  「お前はオレに説教す るつもりか。説教など 聞きたくない。やめだ やめだ」と席を蹴って立 ち去ってしまった。  呆気にとられている私 に、件の側近が「1時間 待って下さい」と耳打ち して、彼も行ってしまっ た。しかし、あの剣幕 では......と半ば諦めてい たところへ、意外にも、 今度は満面笑みのヴァウ ェンサが再登場したので ある。  「さあ早く日本人と話 をしよう」と通訳をせ きたて、「あなた方は 極限までの自由を求め るのか」と問うと、今 度は立て板に水で話し
クは、まだ予備の袋を 5つか6つ持ってるよ」  やや難解な例え話だっ たが、私は自由化を徹 頭徹尾追求する覚悟と受 け取って、重ねてそれを 尋ねると「当たり前だ。 何のためにボクらが立 ち上がったと思っている?  ホンモノの自由を獲得す るために決まってるじゃ ないか」  ソ連の介入を気にして
◇  当然のこととはいえ、
めた。
  年2月、政府と連
帯との間で「円卓会議」 管理し、国民の受け取
Untitled, (Detail 39)
いるか、も問うてみた。
 「全く気にかけていな
いわけではない。ロシア
人が入ってくれば、ブダ
ペストやプラハの例を見
ても、ボクは命を失う
だろう。でも、それを
恐れていれば、こんな運
動、起こしていないよ。
最悪の事態を避けるため
に(ポーランドの)政府
とはキチンと話をしてい
る。彼らがボクの言い
分を十分理解してるとは
思えないがね」
 社会主義の欠点を問
う。
 「何より自由がないこ
と。それに、物がない、 連帯と共産主義政権の 物価が高い......キミらが 融和が進むはずはなか ワルシャワの街で見た通 った。軍人出身のヤル りさ。社会主義は平等 ゼルスキー首相( 年2 を保証するはずだったが、 月〜 年 月、 年7 権力に近いものと一般市 月まで国家評議会議長、
 「あなた方の自由を求  「大事なのはボクが勝 める要求は、日に日に ったという事実だ。必要 拡大しているように見え があれば、明日も明後 るが......」と話し始め、 日も勝ってみせる。蛇口 彼の耳元で側近が同時 から水が漏れたら袋で包 通訳をしているところで、 む。袋が破けたら新し 彼がいきなり怒りだした。 いのに替えればいい。ボ
ヴァウェンサは、 月に 「連帯市民委員会」を創 設して、共産党に代わ る統治政党の準備を始
としてリアルタイムで世 界中に配信され、人々は 共通の体験として受け止 めることが出来た。東 欧各国の共産主義政府 は国営放送を一元的に
民の間にはとてつもない
年 月まで大統領)は
( や ...... エストニアではフィンラン ドのテレビ放送)が視聴 できたためである。  次々に入ってくる周辺
「自由を獲得するため」 英雄ヴァウェンサの覚悟
(つづく)
格差ができている。これ じゃ、人々が向上への希 望を持てない、夢もない、 暗黒あるのみだ」  別れ際、1時間前の あの怒りは何だったかを 聞くと「昼飯前で腹が減 っていたんだ。腹がすく と、人は誰でも怒りっぽ くなるだろう」  これには私も吹き出す しかなかった。この明る さ、天真爛漫さ、率直 さこそが、この男を英雄 にしたのだと思い知った ことであった。
与えられず、翌 年9 月の選挙でレフ・ヴァウ ェンサが晴れて大統領に 選ばれ、名実共に新生 ポーランドの指導者とな
この年 月、反体制運 動弾圧のため戒厳令を導 入、連帯を非合法化し てヴァウェンサ議長はじ め多くの連帯関係者を身 柄拘束した。市民生活 は大幅に制限され、夜 間外出禁止令、国境封 鎖、空港閉鎖、電話回 線の遮断、郵便物の内 容検査などが行われた。  ヴァウェンサは翌年 月に釈放され、年末に は戒厳令も解除された が、その一方でハイパー インフレが進み、生活 の窮乏感は深まる。主 要食料品、日用品など 生活に必須の物資が配 給制となり、平均所得 は %も低下した。対 外債務も倍増した。生 産年齢の 万人が難民 となって流出した。反政 府情報の発信元を「偽 造情報発信者」の名目で 次々逮捕する恐怖政治 が断行されたが、弾圧 で市民の自由化・民主 化要求を鎮めることは できなかった。  しかし、 年3月に ソ連共産党書記長にミハ イル・ゴルバチョフが就任、 ペレストロイカ(建て直 し)、グラスノスチ(情 報公開)を旗印に、従来 の強圧閉鎖型統治の全 面改変に乗り出し、対 外関係においても、西側 との経済相互依存、世 界経済一体化の必要性 などを指向する新思考 外交を呼号し、東欧の
衛星諸国をソ連の統制の
くびきから解放する姿
勢を示した。それを受
けて東欧各国には民主化
を求める波が一挙に広
がる。ポーランドでも、 った。 ストライキや小規模の暴  通信衛星とテレビ放送 動が頻発し、 年後半 技術の発達で、この時期 には政府も連帯との対話 すでに、ほぼすべての出 を模索するようになる。 来事が映像つきのニュース
が始まり、政府側は政
治体制に大きな変更を
加えない範囲で連帯側代
表者を取り込もうとし
たが、その戦術は成功
しなかった。
 4月初めまで続いた会
議で、連帯を非合法化
した法律の改正、大統
領制の導入に加え、条
件つきながら複数政党の
容認に基づく自由選挙
の実施などで最終合意。 諸国での変革の情報が、
6月 日に行われた選 挙で、連帯は下院議席 の自由選挙枠 %すべて と、新設された上院議 席の %を獲得する地 滑り的勝利を得て非共 産党政権を樹立、冷戦 終結に導く東欧革命の 先駆けとなった。  当初、大統領には円 卓会議の合意で、旧体 制のヤルゼルスキー国家 評議会議長が暫定就任 したが、統治の実権は
東欧各国での革命を進 行・加速させることにな った。 月9日のベルリ ンの壁崩壊もあって、同 年末までに東欧のすべて の共産主義政権がドミノ 倒しのように倒れた背景 には、映像の力が強く 働いたと考えている。
る情報を一貫してコント ロールしていたが、にも かかわらず、国外で進 行する一連の動きを国 民に隠し通すことは出来 なかった。自国以外の電 波、特に西側の衛星放送
※8月6日号掲載の同コラ ム内に誤りがありました。
(誤)早河宏  
(正)早河洋  
ここに訂正し、お詫び申し 上げます(編集部)。

















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