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ドジャースタジアム
(Photo: public domain)
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セーリングはオリンピ ックで担当した専門種 目だが、この時期は日 本から単独航海して西 海岸にたどり着く冒険 者が多かった。ゴルフは ロサンゼルス赴任後に始 めたばかりのビギナーだ ったが、夢中になってい た分、観戦しているゲ ームの全てに集中して自 分も楽しんでいた。
年 月に村上隆と山本 善隆が日本代表となった ワールドカップ、 年1 月には出場 人の一人 に樋口久子さんが選ば れたワールドシリーズが、 それぞれ、車で2時間 ほどのパームスプリング スで開かれ、取材した。
 
Untitled,(Detail 27)
人でこなした。 日本代表には、後に
ップを多投、打たせて 投手で球が食い込んで とるピッチングを狙う」 くるから初めから右を
イトルを奪われた。七 試合を通じての両軍の 得点はアメリカ ―日 本 で、大会前に江川 が予想した通り接戦の 連続にはなった。しかし 実力的には点差以上の
ークという言葉を“もた れ合い”と同義語にして るが、とんでもない間 違い。野球は投手と打 者の格闘技だよ」――。 ◇
度も出かけたから、取   
読売新聞のロサンゼル ス在勤中はスポーツの記 事もよく書いた。 ゴル フと野球、セーリングが 多かったが、全米水泳を 取材したこともあった。 大半が東京本社運動部 の発注で、運動部から すれば、東京オリンピ ックを取材した頃の部員 であり、任せておけば 水準以上の記事は出稿 してくれるという信頼 感もあっただろう。他社 が部員を出張させるイベ ントを私に任せてきた。
材・出稿手法は叩き込 まれている。 また、ロ サンゼルスに赴任した 直後から、元巨人軍の 投手で、完全試合を日 本で最初に達成した中 上英雄さん(旧姓藤本、 ハリウッド在住)と近づ きになり、暇さえあれ ば、ロサンゼルス・ドジ ャースやカリフォルニア・ エンゼルス(当時)のゲ ームに同行してもらい、 クラブハウスに入ったり、 試合前の練習をグラン ドに降りて見た後、プ レスボックスでゲームの 成り行きを注視したも のだった。
いる...... ところが4日付運動
この年は秋のワールド シリーズでヤンキースと ドジャースが対戦した。 ドジャースがブルックリ ンにいた頃からの宿敵 同士で、東西2大都市 の決戦。1勝1敗の後 の第3〜5戦までのドジ ャースでの3試合をつぶ さに見て記事を送った。
野球は、運動部にい
た頃に日本のプロ野球、 さえ持参すれば仕事が 特に巨人軍のゲームに何 できた。
米国に乗り込んだ スポーツ選手たち
(早大)が食事中に漏ら した言葉が今も耳に残 る。「今の学生は何か勘 違いしている。チームワ
 
国際ジャーナリスト  
内田 忠男
プロ野球で活躍した面々 が揃っていた。投手陣に 江川卓、香取義隆(以 上巨人)、松沼雅之(西 武)、捕手に中尾孝義
そうだ......話題の新人原 (東海大)は「体調は万 全、なんとかヒットを飛 ばしたい」と張り切って
ねらっていた。右脇の押 っつけがよくきいたし、 自分でも“やった”と思 った」そうだ......
年7月、日米大学 野球の対抗戦があると いうので運動部からオー ダーが来た。
この対抗戦は、大学 野球の優秀選手を選抜 した両国のチームが7試 合を戦って勝敗を決する もので、1972年か ら両国交互に開催され ている。6回目を迎え たこの年はアメリカが 開催国で、ロサンゼルス の南カリフォルニア大学 デドー球場で2試合の 後、中央部のネブラス カ州オマハに舞台を移し て3試合、再びロサン ゼルスに戻って2試合と いう日程だった。この7
面、第1戦は、『日本
 
でホームランを打たれた   
戦全部を見て、イニン 速球投手のノーラン・ラ グスコアと前書きから戦 イアンや、ロン・セイ、 評、雑観、出場選手の スティーブ・ガーベイら 成績を一覧できるボック
その過程で、伝説的
鉄壁とされたドジャース 内野陣の面々と直に会っ て会話する機会もあり、 貴重な経験をさせても らった。ついでに言えば、 メジャーリーグの広報は、 当時から至れりつくせ りで、プレスボックスに 入ると、出場両軍選手 たちの前日までのスタッ ツがびっしり書き込まれ た資料の束を手渡され、 スコアカードの用紙もつ いていたから、筆記具
ススコアまで、すべて一
ケースがほとんど。 だ から一発を極力警戒し ていく。速い球で向かっ ていくより、チェンジア
回敗れる』。 ......6打席2安打2四 球2打点――原が日本 チームを一人で背負った ような活躍だった。
 
(中日など)、野手では 原辰徳(巨人)、石毛宏 典(西武、ダイエー)、 古屋英夫(日本ハム)、 豊田誠佑(中日)、植松 精一(阪神)らだ。
 
り込んだ日本は、第3
戦は江川が投打に活躍、
第4戦は松沼(東洋大)
が完封してタイに持ち
込んだが、第5戦、2
対1で惜敗。9日付運
動面の記事。 いカウントで好球を見
 
7月1日付運動面の でに2安打2失策で同
前触れ記事で始まり、 『江川―米パワー打線』
点とされ、8回2死か ら内野安打と二盗、捕 手の悪送球で三塁に走 者を進められ、中前に 落ちるポテンヒットで決 勝点を献上、江川は自 責点0で負け投手になっ た。
【オマハ(米ネブラスカ 州)七日=内田特派員】 オマハ入りして2連勝、 ロサンゼルスに帰る前に 何とか勝ち越したい日 本だったが、日系三世タ ツノ投手の快投に打線 が沈黙、カド番に立た された......ハワイ生ま れのハワイ育ち......高 校時代は 勝1敗。昨 秋ハワイ大に進学する とたちまちエースとな り、 勝2敗、奪三振 160という立派な成 績で全米代表に選ばれ た。「日本にはまだ行っ たこともないし、日本 語も話せないが、トウ キョウ・ジャイアンツで ぜひやってみたい」とい う......
逃す消極さ......勢いバン トを多用せざるを得な くなり、しかも決定打 を欠く状況となった。
の4段見出し。 ......投手陣は、やはり 江川(法大)中心。「ボ クが打たれると、チー ム全体の士気に影響す る。過去のデータを調べ てみると、失策や四球 で走者を出したところ
第3戦のドジャースの 先発は、肘の手術に名 を残しているトミー・ジ ョンだった。チームドク ターだったフランク・ジ ョーブ博士が、損傷し た靭帯を切除し、正常 な腱の一部を移植する 手術を考案、その第1 号となったのが 年秋の ことで、1年以上のブ ランクを経て 年に復 帰、カムバック賞に輝い た。 年は 勝7敗と いう成績を上げていた が、この日は初回にヤ ンキース打線の集中打を 浴びて負け投手。第4 戦はヤンキースの若手ロ ン・ギドリー投手に完 投を許し、第5戦でよ うやくドジャース打線が 火を噴いて 対4の大 勝。2勝3敗でニューヨ ークに戻り、次の試合 でヤンキースが勝って決 着した。
緒戦逆転負け 力投江  
川拙守に泣く』の大見出 し。5回までに3点先 行した日本が、6回ま
翌日の第2戦を伝え た4日付夕刊も、『原、 同点打むなし 延長
 
守っても得点圏に走者 を置いた一、二回、たて 続けに難しいゴロをさ ばき、七回にも三塁前 ゴロを思い切りよく突っ 込んで一塁に刺し、ピ ンチを未然に防いだ......
 
「九回の同点打は真ん 中高めのストレート。左
オマハで「美味い牛肉 でも食べませんか」と 誘った石井藤吉郎総監督
連敗してオマハに乗   
ロサンゼルスに戻って の第6戦は、ドジャース タジアムという晴れ舞 台だったが、6対3で敗 れ、7戦も負けて2勝 5敗に終わる。 日付 運動面に送った総評。 ......日本は五年連続タ
 
開きがあった。まず打撃 でいうと、第六戦まで アメリカを上回る安打 を打ちながら、それを 集中できなかった......日 本打線の層の薄さ、速
アメリカが走力を生 かし、盗塁で走者を得 点圏に進めていたのと あまりに対照的。日本 は走っても焦りから暴走 というケースが多かった ......守備面でも日本は 大事なところでバッテリ ー・エラーを連発、自 ら傷口を広げた......ア メリカに学ぶ点は、毎 度のことながらスピード だ。脚力や打球の速さ に体力以上の開きがあ ったし、試合運びのテ ンポにもそれが現れた。 一言でいって、日本の野 球にはダイナミズムが 欠けている......
 
 
 
(つづく)













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