よみタイムVol.30 2006年2月10日号掲載


  前巨人外野手 後藤 孝志

自費でヤンキースにコーチ留学
「メンタル面の勉強したい」

「ニューヨークは初めてなんです。すごい街ですよね」といって子どものように目をキョロキョロさせた。昨年限りで18年間着ていた読売巨人軍のユニフォームを脱ぎ、米大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースにコーチ留学することになった。

「前から興味あったんです。アメリカという地で自分の視野を広めていきたかった」と淡々と語る。引退は昨年夏ごろから考えていたという。「体力に自信がなくなったんです。絶対、ホームランだと思った当たりがファールになったり、体のあちこちにパワーを感じなくなった」。

巨人がヤンキースと球団提携している関係で、1年間のコーチ留学を申し出た。もちろん自費である。「家庭もありますから、生活面でもいろいろ考えたんですけど、今しかチャンスがない、と思って」と決断した。高校時代(ノースカロライナ州グリーンズボロ)と大学時代(シアトル)に留学経験を持つかおり夫人から英会話の猛特訓を受けている。

2月6日からヤンキースのキャンプ地、フロリダ州タンパに入った。まだ、松井秀喜選手などメジャー級とは合流していないが、高校生のような若い選手に混じって汗を流している。シーズンが始まるまで、タンパにいて、その後はメジャーから3A、2Aなどマイナーチームでコーチの勉強をする。

「自分が一番苦労したメンタル面の勉強をしたい。選手が落ち込んだ時、どう声をかけていいのか、知りたいですね」。もちろん言葉の壁はある。「どこまで、深く知る事ができるかわからないが、体で勉強しますよ」と白い歯を見せる。

名門・中京高校からドラフト2位入団

1969年愛知県一宮市に生まれる。小さい時から野球好き。高校は名門・中京高校。1987年夏には念願の甲子園に出場、ベスト8入りしている。1メートル90センチの長身ながら柔らかなバッティングは多くのスカウトから注目された。ドラフト会議では「中日ドラゴンズと思っていた」が、巨人から2位指名を受けた。「次世代の4番打者」のふれこみで入ったものの「自分よりすごい選手がごろごろいた」とプロのカベにぶち当たる。5年間と長い二軍暮し。しかし、長島監督の時、一軍に昇格。プロ8年目の95年に初ホームランを記録、その後一軍に定着した。背番号「00」の男は長島監督から全幅の信頼を得ており「ジプシー(長島監督はこう呼んでいた)、さあ、行こう」とその気にさせてくれたという。常に全力のプレースタイルで多くのファンを魅了した。99年には2割7分3厘の打率を残し、レギュラーの座も獲得、「チャンスに強い男」のイメージが出来上がった。しかし、ケガや故障にも泣かされた。

現役18年間でいつも考えていたことは「心のケア」だった。華々しく入団したが人一倍の苦労をした。代打での起用が多かったことから「大事な場面でどんなサポートが必要か」など選手の立場から勉強するようになった。いつの間にか「メジャーではどうアドバイスするのだろう」「メジャー選手は足が震える状態になった時、何を考えるのだろう」とアメリカを新しい地と思うようになった。ニューヨークへ着くなり「子どもたちが野球に興じている場面を見たい」とセントラルパークの草野球フィールドに足を運んだ。「アメリカ野球の原点に触れたいですね」と目を輝かす。

コーチ留学といっても、試合前にノックをしたり、ボール拾い、道具の後片付け、グランドキーパーと「雑用係り」だ。「全て原点に返ってやりたい。自分で自分の事をやらないとね。もう、誰も助けてくれないですから」と強い決心をもっての留学。こんな「野球人」がいれば、日本の野球界も変わってくるのかも知れない。

(吉澤信政)