以下、シニア会会員から寄せられたメッセージです。
田崎さんを偲ぼう
楽しそうなリタイアメント・ライフをされていたようにゴルフ場でお見受けし、すばらしいなと感じていましたのに大変残念です。 心からご冥福をお祈りしたいと思います。
阿知波
Hi Victor, Recently I've heard a crazy joke that you are missig somewhere
in the Ski resourt now!
You know I never-ever believe that kind of silly joke. right?.
Each time you came to see me in Tokyo. I enjoyed fully with you in ROPPONGI.!!
You remember the night in roppongi together with me like the next your
favorite Seiko. At that night I was singing your favorite song."From
Russia with Love". Anyhow, Putting aside such a dad joke, I will
see you,tonight at the Seiko's Place,Don't forget to bring your Cigars,my
friend!
yes ,one more to say, you must sing "KANDAGAWA" tonight definitely.
Don't be late too much!
Harry
田崎さんを偲んで。
思えば田崎さんとは日本クラブのゴルフトーナメントで出会って以来 40年以上のお付き合いになります。
仕事もプラザー一筋、精一杯働いて、ゴルフとスキーをこよなく愛し、 誠実で多くの友人からも愛された人です。
その誠実さを買ってANAニューヨークシニア会会長もお願いして着実に会を盛り立ててくれました。
写真はこの正月アルバカーキーにゴルフに来て大雪のため家に缶詰に なり、ワインとチーズで歓談した時のものです。
今や『千の風』となって空を舞っているでしょうが、追悼会やゴルフ大会にはいつも舞い降りて来てくれる事でしょう。合掌。
アルバカーキーにて、
辰馬国美知
田崎さんには、ゴルフの下手な 私の様な "新参者"にも、気軽に お声をかけて頂き、又、ご親切にして頂きました。 心から感謝をしております。 又、 シニア会の会長としても、素晴らしい会を代表されておられ、大変 尊敬をさせて頂いておりました。
実は、今年は、昨年からの引き続きで、バンカーショットを更に教えて頂く予定でしたが…。
改めて、心からご冥福をお祈り申し上げます。
高松 厚司
田崎さんとビール
ハンティング帽に葉巻とビール、大声と共に青空に舞うクラブ。これが田崎さんのゴルフのトレードマークでした。でも再びその姿を見る事が出来なくなりました。
1966年フレッシュメドーで万博があった年に彼はニューヨークに赴任し、私達の付き合いが始まりました。当時私もミシンメーカーの駐在員で、共にリフレックのアパートに住み、未だ独身だった彼はよく会社の帰りに我が家に寄り、ビールを一本飲んだだけで真っ赤になり、ソファーでひと眠り、目が覚めて自分のアパートへ帰って行くという日が続きました。
やがて一時帰国して長崎より美しい奥さんを連れて戻ってきたのです。カマロのあずき色の新車を買ったのもその頃です。彼は車にもうるさい人でした。その後ゴルフ場の近くに家を買い、私もトラックを運転して引越しを手伝ったのを覚えています。やがて三人の子供にも恵まれ、よくバーベキューにも呼ばれ子供たちも仲良しになり、楽しい日々を過ごしました。彼も私も若くピアノバーも知らない40年前の平和な時代のことでした。
栗原 政良
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