ANAニューヨークシニア会会長
田崎ビクター勝保さん逝く

 いつも明るく、面倒見がよくて、九州男児らしく豪快な、我らの田崎会長が3月3日午後12時、他界しました。

 突然のことです。ついこの間まで元気いっぱいだったのに、誰もが「なぜ?」と信じ難く思ったとことでしょう。

 2月20日早朝から友人3人とフィラデルフィア近郊のポコノマウンテンに日帰りスキー旅行にでかけました。スキー好きの会長は、1月にも友人とソルトレークシティーで白銀を蹴っていました。

 20日当日、スキー場に到着するなり、待ち兼ねたようにゲレンデを滑走しました。 「おい、5回滑ったら昼飯にしようや。早くビールが飲みたいよ」と子どものような顔をして話していたそうです。4回滑った時です。ゲレンデの途中で、急にバタっと倒れ込みました。すぐ友人たちがかけより「田崎さん!」「ビクター!」と声をかけても応じてくれません。目も閉じたまま開きません。脈もありません。スキー場のレスキューを呼んで、人工呼吸を試みましたが、全く反応はありませんでした。レスキュー隊が近郊の病院に連絡を取り、ヘリコプターで搬送されました。途中、人工呼吸の甲斐があって、心臓が動いたそうです。だが、意識はまだありません。

 フィラデルフィアの緊急病院の集中治療室で手当てを受けましたが、目覚める気配はありません。10日間待ちましたが、3月3日の午後12時ごろ田崎会長は、何の苦しみをも見せず、安らかに天国に旅立ちました。

 田崎会長は1939年に長崎で生まれました。1963年に中央大学を卒業したあと、ブラザー工業に入社しました。入社後わずか2年でブラザーインターナショナル・ニューヨークの駐在員になったのです。当時はマンハッタン53丁目に事務所があり、日本との連絡業務、日本の銀行関係、ADMとして各セールスのサポートなどオペレーションのキーマンとして活躍していました。86年には副社長に昇格、工業用ミシン担当責任者になりました。その後。2002年にアドバイザー、04年にブラザーインターナショナルを退職、VTコンサルタント会社を設立して、日本から進出の会社のコンサルタントなどをしていました。

 皆さんがご存知のように、酒とゴルフをこよなく愛し、騒ぐのが大好きな人でした。ゴルフ場のどのホールにいても会長の時として突然発する「Goddamn it!」(こんちきしょう!)などの大声がゴルフ場に響き渡ります。

 ゴルフカートには、必ずビールが数本おかれ、葉巻きをふかしながら、プレーを楽しんでいました。賭けも大好きで、多くの人と握っていましたね。

 忘れられないのは、昨年11月最後のシニア会で、ハワースカントリークラブ11番でホールイン・ワンをやったことです。「生まれて2度目だ」と大喜びしてANAの松井太郎ニューヨーク支店長から日本行きビジネスクラス往復航空券を受け取りました。

 「2度あることは3度ある」とだれかがいってましたが、会長、3度目のホールイン・ワンは天国のゴルフ場やって下さいね。

 田崎会長、やすらかに。
 (文責・吉澤信政幹事)


以下、シニア会会員から寄せられたメッセージです。

田崎さんを偲ぼう
楽しそうなリタイアメント・ライフをされていたようにゴルフ場でお見受けし、すばらしいなと感じていましたのに大変残念です。 心からご冥福をお祈りしたいと思います。
阿知波


Hi Victor, Recently I've heard a crazy joke that you are missig somewhere in the Ski resourt now!
You know I never-ever believe that kind of silly joke. right?.
Each time you came to see me in Tokyo. I enjoyed fully with you in ROPPONGI.!!
You remember the night in roppongi together with me like the next your favorite Seiko. At that night I was singing your favorite song."From Russia with Love". Anyhow, Putting aside such a dad joke, I will see you,tonight at the Seiko's Place,Don't forget to bring your Cigars,my friend!
yes ,one more to say, you must sing "KANDAGAWA" tonight definitely. Don't be late too much!
Harry
田崎さんを偲んで。
思えば田崎さんとは日本クラブのゴルフトーナメントで出会って以来 40年以上のお付き合いになります。
仕事もプラザー一筋、精一杯働いて、ゴルフとスキーをこよなく愛し、 誠実で多くの友人からも愛された人です。
その誠実さを買ってANAニューヨークシニア会会長もお願いして着実に会を盛り立ててくれました。
写真はこの正月アルバカーキーにゴルフに来て大雪のため家に缶詰に なり、ワインとチーズで歓談した時のものです。
今や『千の風』となって空を舞っているでしょうが、追悼会やゴルフ大会にはいつも舞い降りて来てくれる事でしょう。合掌。
アルバカーキーにて、
辰馬国美知
田崎さんには、ゴルフの下手な 私の様な "新参者"にも、気軽に お声をかけて頂き、又、ご親切にして頂きました。 心から感謝をしております。 又、 シニア会の会長としても、素晴らしい会を代表されておられ、大変 尊敬をさせて頂いておりました。 実は、今年は、昨年からの引き続きで、バンカーショットを更に教えて頂く予定でしたが…。
改めて、心からご冥福をお祈り申し上げます。
高松 厚司
田崎さんとビール
ハンティング帽に葉巻とビール、大声と共に青空に舞うクラブ。これが田崎さんのゴルフのトレードマークでした。でも再びその姿を見る事が出来なくなりました。
1966年フレッシュメドーで万博があった年に彼はニューヨークに赴任し、私達の付き合いが始まりました。当時私もミシンメーカーの駐在員で、共にリフレックのアパートに住み、未だ独身だった彼はよく会社の帰りに我が家に寄り、ビールを一本飲んだだけで真っ赤になり、ソファーでひと眠り、目が覚めて自分のアパートへ帰って行くという日が続きました。
やがて一時帰国して長崎より美しい奥さんを連れて戻ってきたのです。カマロのあずき色の新車を買ったのもその頃です。彼は車にもうるさい人でした。その後ゴルフ場の近くに家を買い、私もトラックを運転して引越しを手伝ったのを覚えています。やがて三人の子供にも恵まれ、よくバーベキューにも呼ばれ子供たちも仲良しになり、楽しい日々を過ごしました。彼も私も若くピアノバーも知らない40年前の平和な時代のことでした。
栗原 政良


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