2024年5月31日号 Vol.470

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
[Detail, 99] バックナンバーはこちら

永遠に閉ざされた交信
コロンビア号空中分解事故

2003年が明けて2月1日、土曜日の平穏が一瞬にして破られた。

NASA=アメリカ航空宇宙局のスペースシャトル「コロンビア」が地上への帰還直前に空中分解して失われたという衝撃的なニューズが伝えられたのである。

NASAの宇宙探査については、新聞記者時代に人類初の月面探査を実現したアポロ計画で東京本社・社会部の原稿キャッチャーを務め、紙面に載る最終原稿をリライトしたのをはじめ、ロサンゼルス特派員時代には、無人機が火星表面に初めて軟着陸したバイキング計画をカリフォルニア工科大学のジェット推進研究所に設けられた飛行管理センターで直接取材・送稿した。さらにスペースシャトルの開発期には、大気圏内専用の実験機として作られた1号機「エンタープライズ」の試験飛行を数回にわたり現地取材するなど、数多くの体験を積んでいた。

コロンビアの搭乗員たち(左から)ブラウン、ハズバンド、クラーク、チャウラ、アンダーソン、マッコール、ラモーン The crew of the final ill-fated flight of the Space Shuttle Columbia, mission STS-107, in October 2001/NASA

テレビの世界に移ってからは、フロリダのケネディ宇宙センターを見に行った程度で、宇宙探査そのものの取材からは離れていたが、累積した取材体験から、常に興味と関心は失わずにいた。

「コロンビア」は、実験機だったエンタープライズに続く2号機で、初飛行は1981年4月12〜14日までの3日間、宇宙を往還した最初のスペースシャトルだった。5度目の打ち上げとなった82年11月に、初の実用ミッションとして、通信衛星2基の射出に成功したが、計画された宇宙遊泳はミッション・スペシャリスト=運用技術者、ウイリアム・レノアの体調不良のため見送られた。

94年7月の飛行では、日本人初の女性飛行士・向井千秋が搭乗して、第2次国際微小重力実験室と呼ばれたスペース・ラボを搭載、日本で製作した水棲生物実験装置で金魚、メダカ、イモリを使う実験を行った。メダカの実験は宇宙での交尾、産卵活動を観察し、43個の卵が確認され、8匹が孵化して「宇宙メダカ」を誕生させた。

さらに、97年11月19日から12月5日に及んだ飛行には、土井隆雄がミッション・スペシャリストとして乗り組み、同僚のウインストン・スコットとともに2度にわたり計12時間半を超す船外活動を行い、国際宇宙ステーション=ISSの建設に備えた技術試験を実施した。

無惨な最後の飛行となった28回目は、皮肉にも宇宙飛行士室の安全部門責任者を務めていたリック・ハズバンドが機長となり、パイロット=操縦士、ペイロード・コマンダー=搭載物主任、ペイロード・スペシャリスト=搭載物担当技術者各1人と、ミッション・スペシャリスト3人の計7人が乗り組み、03年1月16日にケネディ宇宙センターから打ち上げられた。

実はこのミッション、本来は01年1月11日に打ち上げ予定だったのが、実に18回延期され、2年も遅れて発射された。最後の遅延理由は、発射予定の02年7月19日の1ヵ月前に燃料供給システムに亀裂が見つかったことだった。後に、CAIB=コロンビア号事故調査委員会が出した結論では、これが6ヵ月後に起きた惨事の原因ではなかったと断定したが、打ち上げまでにこれだけ遅延を重ねたのは、不吉な前兆だったかも知れない。

事故の原因は、ケネデイ宇宙センターから打ち上げられた82秒後に、液体燃料を搭載していた外部燃料タンクの断熱材が剥落し、その破片が左主翼の強化カーボン製耐熱保護パネルを直撃したことだったとされている。剥落した断熱材は「スーツケースほどの大きさ」というから、かなり大きい。直撃を受けた左主翼の耐熱保護パネルには直径15〜20センチの穴が開き、半月にわたるミッションを終えて地球に帰還するための大気圏再突入の際、マッハ2・46=毎秒840メートルという超高速の飛行中に、その穴から高温の空気が翼の内部に入り込み、内部構造体を破壊したことであった。

スペースシャトルの全損事故は、これが初めてではない。

1986年1月28日に、コロンビアに続く3号機として運用されていた「チャレンジャー」が、発射から73秒後に空中分解し、乗組員7人が全員死亡。犠牲者の中には、エリソン・オニヅカという日系のミッション・スペシャリストが含まれていた。

このチャレンジャーも、当初予定では1月22日に打ち上げられるはずが、前のミッションであるコロンビアの帰還が遅れたり、悪天候などいくつかの理由で計4回、6日遅れて打ち上げられた。しかも、この28日は、フロリダが異常低温に見舞われ、打ち上げ可能な下限値であるマイナス1度C近くまで気温が下がっていた。

ケネディ宇宙センターの発射台の整備塔には50センチを超す氷柱が張り付き、カリフォルニア州ダウニーの本部から監視していたシャトル運航の主契約企業、ロックウエル・インターナショナルの技術者たちは、氷の量を見て戦慄したという。打ち上げの際、外部燃料タンクの排気ガスの力で氷が振り落とされ、シャトル本体の耐熱タイルを直撃することを恐れたのだが、損傷は別の部位で起きた。

シャトル本体の右側に組み込まれていた固体燃料補助ロケットを密閉する「Oリング」という部品が発射時に破損、密閉部分から高温高圧の燃焼ガスが噴き出して右側尾部の固体燃料ロケットの接続部分が分離、さらに外部燃料タンクも構造破壊してシャトルは一瞬のうちに空中分解したのだった。Oリングのメンテナンスに当たっていたサイオコール社の技術陣も、ロックウエルと同様、異常低温下の打ち上げに強い懸念を表明していたが、NASAの管理スタッフは耳を貸さず、事実上打ち上げを強行したのであった。

事故の後、レーガン大統領の指示で「大統領特別委員会」が作られ、原因究明と以後の事故防止に向けた多くの提言を残していたが、時間の経過とともに、それらが等閑視されるようになっていた。

コロンビアでは、打ち上げ完了後、地上の技術陣は左主翼の損傷の可能性に気づいていた。損傷の有無と程度を知るために映像が欲しいと要求、国防総省に軌道上のシャトルを撮影するよう3回にわたり要求したという。しかし、NASAの管理機構は、この依頼に真剣に取り合わなかった。技術陣はまた、左翼の検査をしているかどうか、軌道上のシャトルに搭乗している飛行士たちに確かめて欲しいとも求めたが、NASAは、この要求もはぐらかした。

代わりに、左主翼の強化カーボンと耐熱タイルの損傷評価は、クレーターと呼ばれたソフトウエアで行われた。これは過去の飛行データを元に作られたワークシートのようなもので、耐熱タイルが直撃を受けた場合、複数のタイルが「貫通される」との推測を出したが、NASAはこの「警告」をも軽視した。強化カーボンの被害については、「紙巻きタバコ1本程度の氷塊の衝突」しか想定しておらず、「スーツケース大」の破片とは比較にならない。NASAにはfail-safeへの認識と意志が根本的に欠けていた。

コロンビアは、太平洋上空120キロの高度で大気圏に再突入を開始したが、その4分30秒後には左主翼前縁のセンサーが、これまでに観測したことのない張力が機体構造の桁に発生しているのを感知していた。それから5分後、西海岸のサクラメント上空を通過したあたりから、地上で見物していた人々にも異常がわかった。シャトルの描く軌跡が突然明るくなるのを何度も観測したという。再突入から14分後には、テキサス州上空で耐熱タイルが機体から剥がれ落ち始め、1分後には機体が破壊されていることを示す機長の言葉が録音されていた。そして、「Roger, uh…」――何に「了解」したのかは不明、その直後に絶望を示す呻き声で交信は永遠に閉ざされた。(敬称略、つづく)
HOME