2023年02月24日号 Vol.440

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
[Detail, 71] バックナンバーはこちら

幼児性からの脱却と
品位・品格の向上を

時間軸を少し戻そう。

1991年4月から夕方のネットワークニュースのアンカーとなって、最初に遭遇したビッグニューズは、6月3日に起きた九州・雲仙普賢岳の火砕流惨事だった。テレビ朝日報道局から出張取材にあたっていた若い記者が一人呑み込まれて犠牲になった。自然の猛威に度肝を抜かれたが、天災に抗する術はない。専門家をスタジオに招いて火山噴火のメカニズムを説明してもらうしかなかった。火山国日本には噴火の危険が至る所に存在する一方、世界3位の地熱資源国だが、それを恵みに換えて活用する途は進んでいない。

やがて人間臭い事件が発覚する。大手証券会社が根こそぎ関わった不祥事だった。

株式市場というのは、ある意味で壮大なギャンブルの場である。賭場であり鉄火場である。証券会社というのは、そこに客を引き込む誘導役であり、取引の仲介役でもある。客は巨額のカネをそこに投ずるから、誘導役であり仲介役でもある証券会社にさまざまな情報と便宜の供与を求める。求められた側は、客の間の公平性を損ねぬよう、また法の壁を乗り越えることのないよう細心の注意をすべきなのだが、往々にしてその境界を超えてしまう……そうした連綿たる関係の中で、証券不祥事は、今日に至るまで絶え間なく続いてきた。カネが絡むと悪知恵が悪知恵を呼ぶ。

発端になったのは、各証券会社に対する税務調査だった。6月20日、証券各社が大口の顧客に対し、総額で1700億円にも上る損失補填をしていたことが明るみに出たのである。

バブルの絶頂を含め、80年代は長期にわたって株価が上昇したことで、企業は証券市場での資金調達を強化し、調達した資金を再投資して更なる収益を上げる「財テク」に力を入れていたが、その過程で、「特定金銭信託=営業特金」という取引一任勘定による運用が一般化していた。仕組みの上では、顧客と証券会社の間に信託銀行が介在するはずなのだが、実際の運用では、顧客と証券会社がじかに株売買の一任契約を結んでいた。

主に大手企業である顧客からすれば、株式投資の利益だけを求め、損失リスクは最小限にしたい。そこで相場の専門知識を持つ証券会社にすべてを委ねてしまうのが営業特金で、委託する側は投下する金額だけを決め、売買する銘柄・数量・価格などは証券会社に丸投げする。取引から生じた損失は証券会社が負担し補償する暗黙の約束があり、利回りの保証まで約束する「握り」や「胸叩き」、損失が出た場合には、その有価証券を他企業に転売してしまう損失隠しの「飛ばし」という手法も横行した。

当時の証券取引法では、証券会社が事前に損失補償を約束して勧誘することは禁じられていたが、事前の約束なしに損失が生じた後、それを補償することへの禁止規定はなかった。このため、すべてが事後的な補償として処理されていた。

ただでさえ競争の激しい証券各社は80年代半ばに始まった金融・証券の自由化で、大手企業による市場での資金調達が広がり、銀行も加わった顧客獲得競争に直面し、顧客の利益を保証する営業特金を武器に業績を向上させようと、特金の内容を顧客本位に拡大していった。「決してお客様に損はさせません」と売り込み、成功すれば証券会社の恣意に任される売買取引から生ずる取引手数料を荒稼ぎする好餌が待っていた。株式市場が好調の間は良かったが、90年1月から株価が急落に転じたことで客の口座に損失が広がり、補填の額が急増したのだった。

これと前後して、野村證券、日興証券の金融子会社が闇社会の暴力団幹部に資金を融資していた疑惑も浮かび上がっていた。

野村・大和・日興・山一の4大証券の社長が国会に証人喚問され、不公正な取引と裏の業務に世論の反発が高まった。

私自身も、この国のシステムがよくよく閉鎖的で、その閉鎖された囲いの中にいるごく一部の人間たちが、不当かつ法外な利益を独り占めする不合理な現実――しかもこの「不当かつ法外な利益」のラチ外に置かれた圧倒的多数の一般庶民が、いつまでも大人になれない……ともすると感性麻痺の状態に陥っていることに、不快感を超えた怒りの感情を募らせていた。物事のけじめや責任をあいまいにする慣行と国民性は、「品性・品位・品格」を著しく欠いて、国際社会から「異端」と見られる元になる、と痛感したものだった。

私はこの時代、この「品性品格」が気になって、番組でもしばしば口にしていた。

株式市場は資本主義の象徴ともされる。資本主義というのは、資本、つまりおカネが経済活動の軸となって無限の利益を求めて競争するもので、むろん、そこには厳正なルールが求められ、すべての市場参加者に公平・平等・公正かつ透明性を持って適用されなければならない。ところが日本では、この根源的原理を守護・実行すべき証券会社が、しばしば公然とルールに反する行為を繰り返してきた。公正・透明であるべき市場が闇に閉ざされ腐敗することは、その国の資本主義そのものが腐敗していることを意味する。その国の品性が疑われる。

親しい友人からは「株屋に品性を言ったって、お門違いだ。彼らにそんなものを後生大事にする気などあるはずがないじゃないか」と、私の憤懣を笑われることもあった。しかし、見ている人はいるもので、私の母校、東京教育大学附属中・高校(現在は「筑波大学附属」)で20年間、教官を務めた山口正という人が、21世紀入り直後に刊行した『卒業生列伝――日本の知性と感性』という本で取り上げてくれた。

<最近の話題になった本に「女性の品位」や「国家の品格」などというものがありますが、「日本人は過保護がもたらす幼児性からの脱却と、品位品格の向上を、少し真面目に考えた方が良い。この地球上でそれなりに名誉ある地位を得たいと思うなら」と述べて、すでに20年以上前に「品格」のことを論じていたのは、アメリカ生活の長い内田忠男です……>

1893年の第1回卒業生(当時は東京高等師範学校附属)から1985年卒の93回生に至る卒業生の中から100人余が選ばれ紹介された中に、取り上げられていた。

証券業界のトップと自他ともに認める野村證券は、この後も、90年代後半に総会屋親族企業への利益供与事件を起こし、2012年にはインサイダー取引が発覚、19年には、東京証券取引所の市場区分の見直しに関する重要情報を機関投資家に漏洩して取引を勧誘するなど、看過できない不祥事を繰り返してきた。社長から会長まで勤め上げて最近、日経新聞の『私の履歴書』を書いた古賀信之氏にしても。こうした不祥事に触れていないわけではないのだが、筆勢すこぶる鈍く、深い反省が刻まれているとは到底感じられない文章だった。

この会社には多数の知性優れた「附属」卒業生も入社しており、その中の何人かとは親しく付き合っていたが、トップの地位を究めた者はいない。知性と正義感が邪魔したのではないかと思っている。(つづく)

HOME