2023年02月10日号 Vol.439

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
[Detail, 70] バックナンバーはこちら

グローバル化の恩恵と弊害
加速した利便性、拡大した富の偏在

経済の話が続いたところで、「グローバル化」について述べたい。

1989年の冷戦終結で社会主義という理念が実効性を失い、ごく一部を除いた世界中が統一された理念で動くことになった。それがglobalizationで、直訳すれば「全地球化」とか「地球一体化」となるが、日本語でも「グローバル化」が一番使われる用語となった。軸になったのは、複数政党による政権交代が可能な統治体制――普通選挙による「代表制民主主義」と「市場経済」だった。社会主義統治下の計画経済・統制経済が排除され、自由競争に基づく市場メカニズムが共通の経済システムとなったのである。

中国では78年から事実上の指導者として「改革開放」を主導してきた鄧小平副主席が、92年に、社会主義体制下でも市場経済を導入し経済発展を進めることができるとした「社会主義市場経済」を提唱して外資の導入を本格化、天安門事件後高まっていた国際社会の不信を緩和し、その年から中国経済は2ケタ成長の急坂を登り始める。

鄧小平の提唱は、春節の時期、深圳、上海などを視察して行った「南巡講話」で述べられた。「白ネコでも黒ネコでも、ネズミをとるネコが良いネコだ」として、社会主義に資本主義的な市場原理を導入しても経済が発展出来れば良い、との考えを示し、「豊かになれる人が先に豊かになり、豊かになった人は他の人が豊かになれるよう助けるのだ」と、社会主義市場経済の極意を説明した。「経済改革は政治改革につながる」と警戒感を強めていた党内保守派を厳しく批判し、天安門事件後に起きた路線対立を収束して改革開放路線の推進を不動のものとした。「中東には石油があるが、中国にはレア・アース(希土類)がある」とも述べてハイテク産業に欠かせないレア・アースの戦略的価値を強調、大規模な増産を命じて世界の9割を独占供給することになる。

また、外資の受け入れで、格安の労働賃金に魅せられた先進工業国の製造業が大挙上陸したことで、中国は世界の「生産基地」となる一方、先進諸国の製造業は「空洞化」することになった。結果として中国は2010年に日本を追い抜いて世界第二の経済大国に成長したのだから、グローバル化の恩恵を一身に浴びたのは中国だった。

グローバル化の基本理念となったのは、市場原理主義である。自由で公正な「競争」を前提とする市場にすべてを委ねることで経済活動を活性化する。だからグローバル化に参加しようとする国は、国内にある競争を阻害する要因を取り除くことを求められた。具体的には、80年代終わり頃から言われ始めた「ワシントン・コンセンサス」だった。

ワシントンに本拠を置く国際通貨基金、世界銀行と米財務省の間で合意された考え方が名前の由来で、市場原理・小さな政府・規制緩和・民営化・貿易自由化・直接投資の受け入れ・国際間の経済統合……などを広く普及させる。「新自由主義」と呼ばれる一方、アメリカ主導の資本主義を世界中に輸出する「新植民地主義」とも呼ばれた。

エコノミストではノーベル経済学賞の受賞者でもあるミルトン・フリードマンが代表とされた。第二次大戦後、列国の経済政策を支配したジョン・メイナード・ケインズによる公共投資重視の論理に異を唱え、国家による統制を徹底的に弱めて個人・企業の自由を最大限に保障すべきとして、レーガン政権やサッチャー政権の経済政策の理論的支柱ともされた。

バブル崩壊後の混乱が続いた90年代後半に訪ねてインタビューしたことがある。日本がこの低迷から脱出するにはどうすれば良いかを問うと、即座に「日銀がもっとおカネを刷ることです」という答えが返ってきた。「通貨供給量を5%以上増やせば、景気は必ず良くなります」と断言する。

さらに説明を求めると、「今の日本の状況は、戦前、世界大恐慌前のアメリカととてもよく似ています。あの恐慌は、通貨供給量を極端に減らしたことから起きたのです。おカネを増やさずに財政資金だけバラまいても景気は良くなりません。むしろ減税をして、政府が歳出を削るべきです」と持論を展開した。なるほど、反ケインズは筋金入りだなと感じたものだった。

私は、日本がいまだに高度成長期の成功体験から抜け出せていないところに問題があると考えていたので、それをジャパン・モデルズとして説明した。

「日本の高度成長を支えたのは、終身雇用、年功序列、労使協調、企業の系列化……それに伴い、労働者の企業への忠誠心が高まり、期待以上の労働生産性を実現した」――これを聞いてフリードマンは顔を紅潮させて言い放った。

「あなたの言った諸条件は全部誤りです。いや、あなたが間違っているのではなく、日本のシステム・慣行が間違いだという意味です。それらはすべて競争阻害要因だからです。公正な競争ができないものは市場に参加できない。これは現在進行中のグローバル化の鉄則ですよ」

グローバル化は冷戦終結後の新しい世界秩序の根幹となった。多くの国がグローバル化の進展を競い、加速していった。競争とスピードがグローバル化の特徴でもあった。その競争に日本は乗り遅れ、取り残されていた。

グローバル化進展のスピードを速めたのは、ちょうどこの時期、インターネットという新しい情報通信手段が普及したことだった。世界中の国々が諸システムのディジタル化を急ぎ、この波に対応しようとした。インターネットの情報伝達速度は「第三次産業革命」とも言われたほど画期的だった。一例を挙げれば、従来なら手形や小切手の交換などで日数がかかっていた多額の資金決済も、コンピューター画面をワン・クリックするだけで瞬時にどこへでも飛んで行く。経済活動のスピードは革命的に速くなった。

ただ21世紀に入った頃から、グローバル化の弊害も顕在化する。

グローバル化の前提は市場での競争だと書いたが、競争は必ず勝者と敗者を生む。経済活動における勝者は金銭的利益を得るが、敗者には何も入らない。入らないだけでなく多額の損失を被ることもある。これによって何が起こるか――富の偏在・格差であることは論を待たない。グローバル化の進展で、国同士、企業同士、さらに個人間の格差がとてつもなく広がった。格差は不安定を生む。国際関係においてはもちろん、企業社会、個人の心情に生じた不安定は、極端な行動に結びつき易い。冷戦終結後に流れた平穏な空気は次第に険悪な対立と分断の空気へと変わってゆく。

こうした弊害にいち早く声を上げたのは、これもノーベル経済学賞を受けたジョセフ・スティグリッツだった。「グローバル化が助長した貪欲は、社会の幸福には絶対につながらない」として、グローバル化の過程で最も顕著に発達して格差の源泉となった金融市場に対し、「システムの機能を損なうような取引を控えさせ、グローバル化が貧しい国に与えた打撃を償う資金源とするために、金融市場に新しい税を導入すべきだ」と提唱した。

「過ぎたるはなお及ばざるが如し」――。(敬称略、つづく)

HOME