2022年8月5日号 Vol.427

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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ヒルズ女史が指摘した
日本市場の構造と政府規制

1992年10月、テキサス州オースティンで行われたNAFTAのセレモニーに出席したヒルズ氏(前列中央)とブッシュ大統領(後列中央)Photo: Public domain

海外出張の機会は、89年暮れにも訪れた。

空前の円高を招いた85年のプラザ合意後も、日本の対米貿易黒字は減るどころか増え続けていた。繊維に始まり、鉄鋼、カラーテレビなどの家電製品から自動車に広がった日米間の貿易摩擦は、80年代後半には半導体など先端技術分野にも広がり、アメリカ連邦議会は、強力な報復制裁を課す新通商法・スーパー301条を通過させ、政府に対日強行措置を迫っていた。レーガン政権を引き継いだブッシュ(父)政権も就任早々から、対日貿易赤字が減らないのは日本側の非関税障壁など市場自体の構造的な閉鎖性に起因するとして、日本経済の抜本的構造改革を迫る「構造協議」なるものを89年7月の日米首脳会談で提案、宇野宗佑首相が呑まされた。

構造協議のアメリカ側の主役はUSTR=通商代表部である。総勢150人足らずのこじんまりした役所だったが、そのトップはレッキとした閣僚の身分を持つ。ブッシュ大統領は、ここにイェール大学の同窓生で家族ぐるみの付き合いをしていたカーラ・ヒルズという女性弁護士を起用していた。

ロースクールはイェールだが、学部はスタンフォードを優等で卒業した才女。ロサンゼルスの連邦検事補を務めていた時、ニクソン政権で独占禁止法担当の司法次官補に抜擢され、フォード政権では住宅都市開発長官として入閣した。民間に戻って弁護士開業後は、IBMの社外役員や、女性弁護士会の会長を務めた。

そのヒルズ代表に直に会って、アメリカ側の本音を聞き出そうと考えた。

「ホリデイの後なら良いでしょう」――ホリデイはむろん、クリスマスを指す。この年、クリスマスは月曜日で、金曜日の29日にアポイントメントが取れた。例によってギリギリの日程で、29日だけスタジオ出演を休むことにしてワシントンに飛んだ。

ヒルズさんは私より5つ年長の当時55歳。閣僚の執務室としては簡素な部屋に、明るいオレンジ色のスーツに身を包んで待ち構えていた。存在感がすごい。

「貿易に関わるすべての国が等しく市場を開放した自由貿易こそが、世界全体の繁栄を実現する唯一の道だと信じています」――articulateという形容詞を実感する明快な語調で自らの信念を披瀝する。

これまでに開かれた日米構造改革協議の場で、「日本政府の干渉や規制がフェアな貿易を阻害する基本要因になっており、アメリカだけでなく日本の消費者の利益も著しく損なっている」と主張したと伝えられていた。それについて尋ねると、「Yes。新規に参入する企業は、公正な競争を妨げない限り平等な条件を保障されるべきで、それが実現すれば、消費者にとって商品の幅、品質、デザイン、機能、価格など様々な面で選択の幅が広がり大きな利益になる。売り手の間に競争が起きれば価格は下がるのだから、これ一つとっても消費者には大変な朗報になるでしょう」

――前年9月まで13年にわたってアメリカで暮らした私から見ても、日本の諸物価はあまりに高すぎる、その元凶が何だとお考えになりますか? (現在の「安い日本」とは真逆の状況があった)

「理由はいくつもあります。例えば、大規模店舗規制法という法律があるためにアメリカによくある大型のディスカウント・ストアの展開を妨げ、安価な商品が出回りにくくなっている。土地政策の貧困は、非常識としか言いようのない地下の高騰をもたらし、それがあらゆる商品に転嫁されるから、それだけでも高物価の原因になるが、それだけでなく、新たにビジネスを始めようとする人や企業にとっては、地価高騰が大きな障害になる。その結果競争が阻害され、高い価格で売る業者がヌクヌクと暴利を貪り続けるのです。政府の規制や意味のない繁雑な手続きが新たに市場に入ろうとする企業の前に壁となって立ちはだかるケースも多い。これら反競争的な要因を洗い出し、改善すれば日本の物価はかなりやすくなるはずです」

「ここで強調しておきたいのは、すべてが市場開放という一点に結びつくこと。日本は世界第二位の大きな市場を持っている(当時はまだそうだった)が、そこに参入するのは本当に至難の業なのです。私自身、日本とアメリカでいろいろな店を回って体験したことだが、日本国内で提供されている日本製品の種類が、ニューヨークで売られている日本製品の種類より少ないんです。ご存じでしたか? 日本製を買うのに東京よりニューヨークの方が3倍も選択の幅が広いなんて……」

当時の私には、彼女の言い分の方が日本の官僚の言うことよりずっと実態を映していると感じたものだった。そこでさらに質問を続ける。

――日米共同調査の結果を見ると、東京の物価はニューヨークより40%高い……日本の消費者は長いこと官僚、政治家、そして一部企業のもたれ合いという構図の中で除け者にされてきた。日本の消費者は一度も、王様になったことがないんです。こうした構図を打開するのに、良いお考えがありますか?

「日本経済の成功は、世界中とりわけアメリカの開放市場を前提に達成されてきた。ソニーの盛田さんのような企業家も、商品を売り込める広大な市場があったから成功した。それなのに、世界第2の規模を持つ日本市場は非常に閉鎖的です。これを開放すれば、日本の経済的繁栄はさらに長期にわたるでしょう。消費者の選択の幅が広がり、暮らしが一層豊かになるのだから自明のことです」

――独禁法が十分機能していないことも挙げられるのでは?

「既にある法律や制度を実効あらしめる努力も必要です。業界内部のダンゴウを例にとっても、74年に刑事告発(石油闇カルテル事件を指す)されて以後は、告発事例が1件もない。アメリカでは、毎年160件前後が刑事事件になって、そうした厳しさが業者同士の共謀や反競争的取引を排除する背景になっている。もう一つ、日本特有のケイレツ取引のために、系列外の会社との関係が阻まれ、正常な競争原理が働かなくなっている。日本にとって最良の選択とは、企業の未来を保証することであり、同時に消費者の未来を保証することです」

――日本がなすべきことが沢山あるのはよくわかります。同時にアメリカにもやるべきことがあるでしょう。何らかの産業政策を打ち出すとか……

「そうは思いません。政府が決める政策より、市場の力の方がずっと効果的です。東欧の例をご覧なさい。政府が経済を統制してきましたが、市場の力と人々の意欲で形成された経済とは勝負になりませんでした。だから産業政策を打ち出す必要はない」

まさに、凛とした答えだった。

当時と今日では、両国の経済状況に大きな違いがあり、対話の中身を実感するのは難しいかもしれないが、ダンゴウやケイレツなどの日本語も織り込んで、日本市場の構造と政府規制の不条理を、具体的事例を挙げてあくことなく指摘し続けた。

「アメリカには日本に対する強い不満がある。ここにはフロンティア時代から息づくフェアプレイの精神が強く根付いているのです。フェアとは不公平を排した平等ということ。平等を実現しても日本人の害にはなりません」……この説得力には脱帽するしかなかった。(つづく)

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