当時63歳。第一印象はフランスのファースト・レディというより、目が大きく、たくましい感じのする毅然たる女性だった。初対面の挨拶にも微笑は浮かべたが目は笑っていなかった。自らが立ち上げた財団の活動について、「精神的にも物質的にも恵まれている者たちが、不幸な人々を助けるのは当然のことで、この事業を始めるのが遅過ぎたと後悔している」と熱心に語った。ドイツ占領下の時代、親独のヴィシー政権に反旗を翻してレジスタンス運動に身を投じ、その過程でヴィシー政権の熱烈な支持者からレジスタンスに転向したミッテラン氏と会い、恋におちた。その頃について質問すると、「遠い昔のことですよ」と素っ気ない。素っ気ないだけでなく、思い出すのを拒否する意志が滲み出ているようにも見えた。それというのも、ミッテラン氏はレジスタンス当時から付き合いのあったアンヌ・パンジョという女性との間に、マザリーヌという婚外子をもうけていたことが広く知られていた。81年の大統領就任直後に、記者団からこのことについて聞かれ、「Et alors ? それが何か(問題かね)」と応じていた。ミッテランとの恋は、とうの昔に冷めていたのである。
あなたの政治信条は? の問いには、「liberale」とたった一言。ただそこには、他人の介入を許さない断固たる響きがあった。当時はまだEC=欧州共同体だったヨーロッパ統合の動きについては、「基本的な思想や歴史の違う国々が一つになるのは、決してたやすいことではない。無理に統合しても必ず対立が生じるでしょう」と否定的な言葉。では統合には反対されるのですか? と問うと、「いや、そうではない。ただじっくり納得するまで話し合うことが必要だと思います」――。語尾に至るまで常にきっちりと発音していた。そのフランス語の余韻が長く私の耳に残った。(つづく) HOME