キッシンジャー博士はドイツ生まれのユダヤ人。15歳だった1938年にナチスの追及を逃れてアメリカに亡命、マンハッタン北部のワシントンハイツに住んだ。ニューヨーク市立大から陸軍勤務(情報部門、退役時軍曹)を経てハーヴァードに進んで政治学と国際関係を学び、「Peace, Legitimacy, and the Equilibrium」というタイトルの論文で博士号を取る。「合法性と均衡の下での平和」とでも訳そうかーーフランス革命とナポレオン戦争で混乱した欧州の秩序再構築のために開かれた1815年のウイーン会議について、会議を主宰したオーストリアの後の宰相メッテルニヒ外相と、アイルランド生まれながらイギリスへの併合を主導、イギリス代表として会議に出席し、中心的役割を演じたカースルレー子爵に焦点をあて、フランスへの懲罰よりも力の均衡の回復こそ重要としてConcert of Europeと呼ばれた全欧州の協調が実現した、と分析。「合法性」は必ずしも「正義」と一致するものではないが、協調より対立の多かった当時の欧州の5強、英墺独仏露のリーダーが合意したことで「合法性」が担保され、その後百年にわたって大戦争のない均衡重視の国際秩序が実現した、と論じた。サマリーを読んだだけでも、緻密な論理を引き出した広範な研究努力の程が偲ばれる力作であった。