サッコ・バンゼッティ事件については、長く冤罪が叫ばれてきた。一九七一年にはイタリアとフランスの合作で『死刑台のメロディ』という映画になり、ジョーン・バエズが歌った主題歌『Here's to you(勝利への讚歌)』とともに世界中でヒットした。しかも、私がロサンゼルスに赴任することになり、社会部から外報部に転属して内勤シフトに入っていた時期に、タイム誌が取り上げた記事に着目してその要約を外報面に署名入りで書いた経緯もあって、私には馴染みが深かったのだ。
日系移民も、20世紀初めから「黄禍論」による排斥を受け、太平洋戦争が起きると、市民権保持者まで含め、着の身・着のまま強制収容所に送り込まれた悲しい思い出がある。しかもこれは、フランクリン・D・ローズベルトという大統領の行政命令だった。国家の意志としての差別であった。終戦後、強制収容は解かれても、奪われた財産や名誉は戻らず、日系人は長く「二級市民」として扱われ、アメリカという国家が、この誤りを正すまでには40年余を要した。レーガン大統領のもと、Civil Liberties Act of 1988が成立、収容された人々に謝罪し、一人2万ドルの損害賠償が行われた。1999年までの11年間に8万人余りに総額16億ドルが支払われた、とされる。差別の代償は決して小さくない。(つづく)