2021年4月16日号 Vol.395

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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現地の心と価値観を共有
米国で成功した住宅開発

ミネソタのレイク・ポイント・コンドミニアム(2008年撮影)Photo by Ed Kohler

先にも述べたように、ロサンゼルスではアメリカに進出した日本企業の行動にも注目した。かつての繊維や鉄鋼、この当時の家電や自動車のように日本製品を洪水のように売り浴びせていれば、やがては反感を買う。

アメリカは開かれた国である。ジェンダーや人種、学歴など完全な平等が実現しているとは言えないにしても、成功への機会はほぼ均等に保障されている。右も左もわからず、親の転勤に従って連れて来られた子供たちを、アメリカの公立小・中学校は当たり前のように受け入れてくれていたし、ただ受け入れるのではなく、新入りの児童生徒に英語のクラスを設けて即成教育も施していた。先生が話すことも、友達との会話もチンプンカンプン、何もわからないから不登校になる、などと言うケースは聞かなかった。

そういう国にやってきて、ビジネスをし、暮らすからには、それなりの作法というものがあろう。私は、その第一の要件として、地元への同化、価値観の共有が必要ではないかと考えた。そのような視点から、日本企業の行動を見つめるうち、二つの企業に注目し、ミネソタとアリゾナの現場を訪ねた。その成果は、1977年11月17日付朝刊解説面の最上段に4段ぶち抜きの大型記事となる。

『歓迎される企業進出の道 現地の心と価値観で 米で成功した住宅開発』の見出し。 ……カラーテレビ、鉄鋼、自動車……怒涛のような日本製品の洪水、拡大する一方の貿易収支の赤字にイライラがつのるアメリカでは、メード・イン・ジャパンへの風当たりが強まっているが、そんなアメリカにも、笑みを浮かべて、ひたすらニッポン歓迎の一角がある。北米大陸のほぼ真ん中にあるミネソタ州と、サンベルトのアリゾナ州。ここでは住宅開発に進出した日本企業の、まじめでキメ細かい仕事ぶりが地元の人々をとりこにした。日本品締め出しの嵐の中で、この二つのプロジェクトは、これからの企業進出の一つの方向を暗示している……

紹介した二つのプロジェクトとは、ミネアポリス郊外の湖水のほとりに24階建て、107戸のコンドミニアムを建設した鹿島建設と、アリゾナの州都フェニックス郊外の砂漠に東洋不動産と日綿實業が開発したゴルフ場付き宅地開発だった。

本文の一部をたどると……<全戸ベランダ付き眺望絶景◆住居専有面積=九二・九平方メートル―二〇四・四平方メートル◆販売価格=千五百万円―四千七百五十万円◆最多価格帯=二千五百万円◆駐車場=一戸に二台まで無料◆共有施設=屋内温水プール、ジム、サウナ。他にバーや来客用の宿泊施設もあります>……不動産広告風にするとこんな具合。地価の安いアメリカ(この敷地で1平方メートル当たり約一万九千円)では(上物価格として)決して安くはない。しかし一戸あたり面積は日本に比べ格段に広いし、内容はもう比較にならない。衣装部屋と言った方がピッタリする洋服入れから小物入れまで、収納施設はすべて作り付け。台所には電子レンジ、オーブン、冷蔵庫、自動食洗機が完備している。そのうえ、湖水のほとりというまたとない立地条件。来年四月の完成=入居を前に、すでに七〇%を超す七十六戸は売約済み……

鹿島にこの話が持ちこまれたのは、オイルショック最中の73年だった。アメリカでの住宅開発は未経験、しかも日本企業には処女地といえる都市、あまりにリスクが多過ぎたが、同社トップはあえてゴーサインを出した。20〜30代の若いスタッフ3人に大幅な権限を与えてスタートさせた。記事本文の続きーー。

……真っ先に注目したのは州政府の経済開発局だった。「不況脱出には機関車がいる。沈滞したミネアポリスに、クレーンを掲げ、ツチ音を響かせてくれようというんだから、これこそ景気の機関車だ」……州政府で外国企業誘致を担当するジェームズ・オーティスさんは「どの国の企業にも門戸を開いているが、不況の時ほど他州との競争が激しく、なかなかきてもらえない。とくに日本企業の場合、ニューヨークと西海岸に集中して、内陸部にはほとんど関心を示さない。そんな中、一番難しい時期に進出してくれた鹿島には感謝している」……いま、鹿島の若手三人組とオーティスさんの関係は、面倒を見てもらう立場から、相談に乗る立場に逆転した。「日本人の関心を引くにはどうすれば良いか」から「脈のありそうな会社」の紹介まで助言を求められている……

もう一つはアリゾナの砂漠の中。

……発展めざましい州都フェニックスから北東へ約五十キロ……ここに三和銀行グループの東洋不動産と日綿實業が地元ディベロッパーとの合弁で、ゴルフ場付きの分譲宅地を開発した。近くにスコッツデールという高級住宅地があるが、ゴツゴツした岩山と、なだらかな砂の山を見た時、ここに人が住む町を作ろうという気が起こっただろうかと首を傾げてしまった……事実、話が持ち込まれた時、親銀行の三和を含めて尻込みした……開発権利を握っていたジェリー・ネルソン氏は、この土地がフェニックスより見晴らしがよいこと、フロリダからカリフォルニアへのびるサンベルトの中でも、フェニックスはとくに成長率が高い都市で、まだまだ発展の余地があることを説いた。しかし、何と言われても第一印象は良くなかった。ひどく暑い。日中は四十度が常識だという……プロジェクト担当を命じられた東洋不動産の川井今夫氏が、ロサンゼルスと現地を往復している間に気づいたのは「ここはアメリカ。日本人の価値観だけでははかりきれないものがあるはず」ということだった……この計画もまた、オイルショック後の“困難な時代”にスタートした。五百万ドル(当時の為替レートで約十五億円)で買収した九百エーカーのうち百三十エーカーをゴルフ場に、残りを千区画(一区画約千三百〜一万六千平方メートル)に分割して販売する計画だ。さる十月半ば、ゴルフ場が完成、宅地も第一期百六十区画のうち、百三十五区画がすでに契 約を完了した。「あとはもう、押せ押せで売っていくだけです」……

記事は次のように結ばれている。

……ミネソタとアリゾナ、二つの現地を間近に見て痛感したのは、両者に共通した“心”があることだ。それは、日本企業固有の価値観をいっぺん白紙にして、アメリカ人の物の見方、考え方、さらにミネソタやアリゾナの特性を虚心に受け止め、そこから事業の方向づけをしていったことである。その上で、日本人らしいキメ細かな出来栄えを追求している。だから、地元には日本企業の進出という違和感も反発もない。それは、素材とアイデアをすべて“現地調達”したことによるものではないか……

やがて日本の自動車メーカーが現地生産に乗り出した時、アメリカ側が特にこだわったのは、部品などの“現地調達率”だった。

追記すれば、アリゾナのプロジェクトを提案したネルソン氏は、エール大からハーバードのMBAを取得した典型的IVリーガーで、当時付き合いの多かったスタンフォードやバークレー、UCLA出の秀才とは別種の風格を漂わせていた。今も投資会社Stratford Capitalグループの総帥として健在のようである。(つづく)



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