2021年2月12日号 Vol.391

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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米国市場を席巻した
「小さな巨人」たち

サミュエル・イチエ・ハヤカワ氏(1906〜1992) Samuel Ichiye Hayakawa. Image:Public Domain

1970年代後半のロサンゼルス地域が、多くの日本企業にとって米国市場獲得の先兵になっていたことは前回触れた。優秀な人材が数多く投入され、後に日本本社のトップに上り詰めた人も少なくなかった。

当時の日本人ビジネスマンの特性は、「会社人間」だった。終身雇用制もあって、個としての存在である前に、所属する会社が人生のアイデンティティになっていた。だから彼らは自分の会社の利益を極大化するために猛烈に働いていたのだが、その延長線上で、個々の企業の発展が日本の国益にもつながるという確信に近いものが根付き、この時期、南カリフォルニアで活動する日本企業社員には運命共同体のような意識がみなぎっていた。運命共同体をつなぐ絆は申すまでもなく「同胞意識」であり、「愛国」の情だった。まさに「企業戦士」である。
私も日本人だから、その情念は共有する。そうした中で、彼ら会社人間に苦言を呈さざるを得ない出来事が起きた。

77年3月のある夜、日系二世S・I・ハヤカワ氏の上院議員当選を祝う晩餐会がビバリーヒルズのホテルで開かれた。現地日系社会が主催する形で、東洋系のテレビ司会者マリオ・マシャード氏が司会を務め、駐日大使から帰任直後のジェームズ・ホジソン氏、サンディエゴのピート・ウイルソン市長(後に上院議員、州知事)、日系女優のヘレン・フナイさんら千三百人が出席する盛大で華やかな会になった。

日系社会の有力者に加え、在ロサンゼルス日本総領事も出席したのだが、そこに日本からの進出企業トップの顔がほとんど見えない。当時ロサンゼルス地域に進出した日本企業が四百数十社を数えた中で、この祝賀会に出席したのは、主催者側の集計で12社に過ぎなかった。中央のメーン・テーブルには進出日本企業の団体である「貿易懇話会」の席も設けられていたが、そこには日系人の事務局長がポツンと場違いな表情で座っていた。

祝宴の最後に挨拶に立ったハヤカワ議員は、言語学者らしい軽妙なジョークを交えながら、「いまアメリカで日本人は“小さな巨人”と呼ばれているが、これは過去百年間、移住してきた日本人が、どんな苦難に直面しても決して希望を捨てず、日本民族の誇りを失わなかった結果であって、“我慢強い巨人”と呼んだ方がふさわしい。私が今回当選できたのも、この国に移住した日本人が、それぞれの地域社会で素晴らしい評価を得ていたからに外ならない」と述べた。

会が終わった後は記者会見に応じ、真っ先に「日米間の懸案解決に当たっては、アメリカの国益を優先するだけでなく、日本の立場にも十分留意したい。できるだけ早い機会に訪日して、各界の人々とお会いしたい」と述べるなど、当時“日本離れ”の言動が著しくなっていた民主党のダニエル・イノウエ上院議員とは対照的と言える“先祖返り”の親日的姿勢を示した。日米間は、70年代前半までの繊維摩擦が一段落した無風状態から、この頃には、自動車や家電製品などの洪水的な対米輸出が新たな摩擦の火ダネになりつつあったから、日本側にとっては心強い援軍を得た発言だった。

アメリカの記者が「日本の立場に配慮するか」と重ねて質問すると、「是非そうしたいと考えている。いま日本製品の過度な進出が問題になっているが、これはアメリカの製造者の生産性が日本のそれに比べて著しく劣り、競争力が弱まった結果だと理解している」と、さらに日本寄りの見解を語った。

「それではアメリカの失業がさらに増えるのでは」との問いには、「失業の解決にはより多くの投資が必要で、その意味では日本企業が製造拠点をどしどし進出させることが望ましい。アメリカ企業が作る雇用も、日本企業が作る雇用も、働く場という意味では変わりがない。いまのアメリカ的生産形態に効果的な修正を加えるという点でも望ましいことだ。日本の自動車産業を誘致したいというブラウン・カリフォルニア州知事の提案にはもろ手をあげて賛成したい」と答えた。

発足したばかりのカーター政権が、ともすると保護貿易主義に傾斜しつつあるように見えた点については、「保護主義の態様は時と共に変化すると考えている。いま仮に保護的になっていても短期的なものに過ぎないだろう。それを正すのが私たち議会の使命だ」とキッパリ。胸のすくような発言だった。

連邦上院にこういう議員がいてくれるだけでも、日本や日本企業にとっては有難いことで、積極的に応援すべきなのだが、後日、「ハヤカワさんの祝賀会になぜ出なかったのですか」――何人かの日本企業トップに問いただすと、「いま連邦、州政府とも政権を握っているのは民主党だが、ハヤカワさんは共和党でしょう。野党に加担するように見られるのは会社のためにまずいと思って」というのが「会社人間」である彼らの、ほぼ共通した回答だった。

「アメリカでは、与野党問わず、ロビーイングの対象にして自社の利益拡大を図るのが一般的なんですよ」と言っても、納得した顔にはならない。こうした硬直した視野狭窄が日本の弱点だという意識は全く感じられなかった。

主催者の一人で、64年の東京五輪招致に大きな働きをしてくれたことでも知られるフレッド和田さんが「このような機会にこそ、進出企業の人たちがテーブルを分かち合い、またそこに白人の友人・取引先などを連れてくれば、日本企業に対するイメージも随分と良くなるはず。だから私たちも一生懸命声をかけて回ったのだが、反響は意外に冷たかった」とブ然とした表情で話していた。

この年初めから、自動車の対米輸出に猛烈なドライブがかかっていた。毎月初めに前月の販売台数が発表される。私はそれを記事にして送った。3月5日付夕刊2面トップに『日本車、米でのシェア10%超す』という5段見出しが載ったのを皮切りに、4月7日付朝刊経済面には『米、先月の日本車販売 10万台超す新記録』の3段見出し、5月7日の同面トップに『日本車、米でまた新記録 上位4社で12%占有』の4段見出しと続き、6月7日付では『とまらない日本車 輸出、洪水並み 3社、7割ー2倍増も』という記事が朝刊第2社会面のトップに載った。

【ロサンゼルス四日=内田特派員】輸入規制への強い懸念をよそに、米国市場でめざましい売れ行きの伸びを続ける日本製自動車は、五月中、またまた過去の販売記録を大幅に更新、その快走ぶりは、いよいよ“どうにも止まらない”状況となった……米国市場での日本車のビッグスリー、トヨタ、ニッサン、ホンダの現地販売会社が三日、それぞれまとめたところによると、五月中の販売台数は、トヨタがカローラを中心に六万六千二百六十台、ニッサンがサニーなど五万八千五百二台、ホンダはシビックなど二万五千九十七台と、そろって月間最高記録を大きく上回り、前年同月との比較でトヨタが七七・五%、ニッサンが七九・八%伸び、ホンダに至っては二・四三倍という記録的な伸びを示した……昨年のカラーテレビに酷似しており、米政府としても、早晩、何らかの日本車対策を迫られることが必至の情勢となった……

この輸入日本車の急増で、すでに米国内で現地生産していた西独フォルクスワーゲンは一時撤退に追い込まれる。(つづく)



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