2020年9月18日号 Vol.382

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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ロッキード事件が新局面
前代未聞の嘱託尋問


ロッキード・トライスターのプロトタイプ、最初の飛行試験に向けて準備中 Prototype L-1011 TriStar being prepared for its first flight test in 1970. Photo by Jon Proctor

ロッキード事件は、1976年5月に入って慌ただしい局面を迎える。

捜査を開始した東京地検特捜部は、外交ルートを通じ、首相だった田中角栄氏に5億円が密かに渡されたという衝撃的内容を含む連邦上院チャーチ委員会での証言記録など、米側資料の提供を求める一方、堀田力検事を派遣して独自捜査も模索した。

堀田検事は、72年に外務省に出向、駐米大使館一等書記官として3年間勤務。その語学力に期待して、事件発覚と前後して特捜部に異動。以後、捜査の中核で活動した後、田中被告の公判も担当、求刑論告まで行った。

堀田検事のLA入りを知ったのはロ社からの情報だった。5月6日夕刊の記事。

【ロサンゼルス六日=内田特派員】ロッキード社筋が六日夜明らかにしたところによると、同社のコーチャン前副会長、クラッター前日本支社長、エリオット元東京駐在代表は、訪米中の堀田力・東京地検特捜部検事からの事情聴取要請についていずれも公式に拒否を通告したといわれる。コーチャン氏らは同社の対外献金問題は、依然として証券取引委員会(SEC)などによる調査が継続中で、こうした時期に外国の司法当局と接触することは避けたいとしているという。コーチャン氏は、ごく最近「あと数か月すれば(対日工作資金の支払いについて)より多く語れるのだが」と知人らにもらしていた……

この「ロッキード社筋」情報は14日にも発信され……同社と銀行団二十四行の間で行われていた融資契約更改に関する交渉がこのほど終わり、来週早々にも新契約に調印する運びとなった。同社はこれに基づき、二か月以内に株主総会を招集し、財政再建計画について株主の同意を取り付ける方針といわれる……という記事になった。

情報源は、親しくなった弁護士を通じてコンタクトができたロ社役員で、許可なしに直接引用はしない約束で社内情報を話してもらえるようになった。情報を流してくれた理由についてその役員は、当時ロ社の主力商品はトライスター旅客機と、軍用のP3Cオライオン対潜哨戒機で、両方とも売込みが進展せず、財務的にも危機に直面しており、そうした苦境を理解して欲しかったからだと、後に述懷していた。こうした対話から私は、ロ社の対日売込みの中心はトライスターより海上自衛隊が百機以上調達することになるP3Cにあったのではないか、と考えたのだが、地検の捜査はトライスターの全日空売込みに限定され、私の疑いを晴らすことはなかった。

2016年ごろだったろうか、福祉事業家を兼ねた弁護士になっていた堀田氏があるインタビューに「私個人は核心はP3Cだったのではないかと思っている。児玉誉士夫がロッキードの金を上手に取る巧妙な手口は証言で取れていた。そこから先の金の使い方を解明しなければいけなかったが、それができなかった。日本の政治経済の背後で動く闇の部分に一本光が入ったことは間違いないのだけれど、もっと凄い深い闇があって、彼らがどういう所でどんな金を貰ってどうしているのか、国民は暗闇の部分を全部照らしてくれと検察に期待したはずなので、悔しいというか申し訳ない」と答えていたのを覚えている。40年以上も前の私の推測は正鵠を射ていたのだ。

古き昔の話に戻ろう。5月も末に近づくと、嘱託尋問という聞いたこともないものが始まることになった。

【ロサンゼルス二十五日=内田特派員】当地の米司法筋が明らかにしたところによると、日米司法取決めに基づくロッキード社関係者への嘱託尋問の米側手続きが二十六日から具体的に動き出すことになった。東京地検から外交ルートを経て米側に手渡された嘱託書は、米司法省を経由してロサンゼルス連邦検事のもとに届けられ、連邦地裁の合意が得られれば、早ければ今月中にも、ロッキード社のコーチャン副会長、クラッター元東京支社長らに出頭命令が出される見通しである……

有り体に言えば、本当は地検特捜が巨額の工作資金を提供した当事者、つまりロ社幹部の証言を直接聞き出して国内捜査の原資料としたかったのだが実現は絶望的。そこで国を挟んだ「捜査共助」の形で、米側司法当局に尋問を委託するという訳だ。元々この捜査は時間との戦いでもあった。当時の日本の法律では、田中前首相に対する収賄罪の時効が8月10日に迫っていた。

5月28日、ロサンゼルス連邦地裁は、前記コーチャン、クラッター、エリオットの3人に召喚状を出す一方、「ケネス・M・チャントリー退役判事を本件に関するすべての手続きを統括し指揮監督し、法律上すべての疑問を規定し、嘱託書に記載された個人たちから証言を得るのに必要なすべての手段を講ずるコミッショナーに任命する。また同判事指揮のもとで上記特定個人たちに質問を提起して嘱託書の執行に参加するコー・コミッショナーとして、司法省特別検事ロバート・クラークと、連邦検事キャロライン・M・レイノルズを任命する」との命令書を出した。命令書には記載されなかったが、東京地検から派遣されている堀田力、東條伸一郎両検事が尋問に立ち合うことも認められた。

こうして前代未聞の嘱託尋問が始まる運びとなり、ロサンゼルスに特派員を出していない各社も続々記者を送り込んできた。読売もワシントン支局から若手のS記者を応援に出した。S記者はカリフォルニア大学バークレーでジャーナリズムの修士を得た後、読売ニューヨーク支局に助手として入り、そこでの働きが認められて70年に本社採用。社会部勤務の後、外報部に移り、76年初めからワシントン支局勤務となっていた(後に運動部長、国際部長、取締役調査研究本部長)。社会部時代から気心の通じた記者で大いに助けになった。また、東京の社会部からも1年後輩のK記者が応援にきた。彼は国際基督教大卒で英語に堪能、福島支局でも後輩という関係で、これも大いに助けられた。

6月初めには、尋問日程をコーチャン氏とクラッター氏に3日間、エリオット氏には2日間を当てることも決まったが、ロ社側弁護団は冒頭から「米市民が外国官憲の捜査に協力するため証言を強制されることは不当」として異議を申し立てた。日本の嘱託に基づく証言といっても、米国内法のもとで行う以上、証言内容によっては証人が米国で刑事訴追され得ることも証言拒否の根拠になった。尋問初日を伝えた6月9日夕刊社会面トップ記事。

【ロサンゼルス八日―内田特派員】「私がこうして記者会見することは法律に触れるかもしれないが、とにかく話しましょう」――ロッキード事件の嘱託尋問を指揮するチャントリー受託判事が、こう話し始めた……数日前に「一日六時間はたっぷりやる」といっていた判事の言葉に従えば、尋問たけなわの頃合いだ。しかし、「次回尋問を延期し、十一日午前十時に再開します」との説明が、全てを物語っていた。時効に追われ、政変の影におびやかされるロッキード捜査。大詰めのカギを握る嘱託尋問は開幕早々から暗礁に乗り上げてしまった。それだけに守秘の壁を独断で乗り越えて記者会見に応じた老判事の姿勢が私たちの胸にはジーンとこたえた……

実は、この老判事が私たち読売取材班の大きな頼りだった。他社の記者たちは、土地不案内に加え英語に不安もあって、地検特捜からきている二人の検事に密着していた。しかし、特捜検事が重要情報など決して明かさないことを私たちは知っていた。尋問を指揮する老判事の自宅を突き止め、毎夜のように「夜回り」をかけた。判事も「私から話すことはできないが、君たちが質問すればイエスノーでは答える、決してウソはつかない」と約束してくれたのだ。そこは私たち読売の独壇場だった。(つづく)


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