2020年3月20日号 Vol.370

文:国際ジャーナリスト 内田 忠男
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「ロービング」で見えた
欧州の機動性と透明性


ベルギー、ブリュッセルのEU本部「ベルレモン」 Berlaymont building, Brussels, Belgium


1972年6月、ストックホルムの国連人間環境会議が終わっても、直ちに帰国の途についたわけではなかった。
前回書いたように、この年、読売社会部は国連会議のスローガンであった『かけがえのない地球』を年間テーマとしたキャンペーンを展開、毎週月曜日、このタイトルでフルページの特集記事を載せていた。私は、この特集面を書くために、西欧諸国の環境政策を見て回ることになっていたのである。
当時私たちは、こうした旅を、「歩き回る」「さまよう」を意味するroveを使ってロービングと呼んでいた。ストックホルムを起点に、ノルウェー、ベルギー、フランス、イギリス、オランダ、西ドイツ、スイス、イタリア、スペイン……と回るロービングは、国内の忙しい業務がウソのような、目に触れるもの、聞くもの、肌に触るもの全てが新鮮で、しかも締切時刻の拘束からも解放され、誰にも邪魔をされない、誠に気ままで楽しいものだった。その後の新聞記者生活から、活動分野をテレビに移してからも、数えきれない外国旅行をしてきたが、これに勝る天国のような旅は皆無だった。
ストックホルム滞在中に誕生日を迎えたが、まだ33歳。世間知らず、という側面はあっただろうが、好奇心は旺盛、若さ故に研ぎ澄まされた感性があった。むろん体力にも自信があった。1時間も飛べば、言葉・風俗・習慣から人々の気質も変わるというヨーロッパの多様性にもタップリ浸ることができた。読売の支局はあったが、時に美味しいものや旨い酒が飲めるところを紹介してもらうことはあっても、取材の手配などで面倒をかけることは一切なかった。そもそも、このロービングをスタートするにあたって、本来とるべき取材先のアポイントメントを取らなかった。これをやると、まず日程ありきとなり、それに縛られて自由に行動できなくなる。私としては、何よりも私が見たもの・聞いたもの・肌で触れたものを大事にしたいと考えた。きっと、今これをやったら、取材そのものが成り立たなかったであろう。メディアの数が増え、取材申請も猛烈に増えた。だが、この当時はまだ、のんびりしたものだった。早い時点で訪れたベルギーのブリュッセルで、今はEUになっているEC(欧州共同体)と、NATO(北大西洋条約機構)の本部に電話を入れ、「環境対策の責任者に会いたい」と頼むと、その場でOKが出て、何日の何時に来い、という約束が取れた。彼らにすれば、恐らく聞いたこともない日本のメディアから、文書などでなく電話での突然の要請だった筈だが、それが障害にならなかった。日本の中央官庁とは比較にならない開放度、そして機動性と透明性にまず感動する。
EC本部で驚いたのは、冒頭、この年3月に就任したばかりのシッコ・マンスホルト委員長が現れたことだった。当時ECは、原加盟国の6ヵ国(フランス、イタリア、西ドイツとベネルクス3国)にイギリス、アイルランド、デンマークの新規加盟を翌年1月に控えていたが、マンスホルト委員長は、それを機に環境政策を一気に前進させようと考えていた。汚染物質を特定して加盟国が統一基準で測定し、それをもとに対策を
策定して加盟国一斉に実施する……これを拡大ECの最初の事業にすると言うのだ。直接の担当者も紹介され、計画の概要を丁寧に説明してもらった。
帰国してから署名入りで書いた特集面の記事の末尾を紹介しておこう。
……わが国の政府や産業界には、ともするとECを単に「ブロック経済化」という視点でのみ捉えて、域外国製品への輸入規制を極度に警戒したり非難する傾向が強いが、こうした環境福祉面の域内協力に傾斜しつつある面も十分理解する必要がある。理解するだけでなく、積極的に支持し加担する姿勢を示すことこそ、日本が世界で孤立するのを防ぐ最善の道だと銘記すべきだろう……
NATO本部でも、応対の丁寧さは一級だった。環境問題を安全保障の重大側面に位置づけていたのが印象的だった。それを記事にした特集面は『環境に挑戦・NATO「軍事同盟」、生活革命叫ぶ果敢な行動集団』の見出しで詳報、その前書きを私はこんなふうに書き出していた。
……私たちは、環境問題が現在から未来にわたって人類生存のカギを握る緊急かつ最重要な問題と認識してきた。それは兵器を使わない戦争と言ってよい……西側諸国を守る軍事同盟として設立されたNATOが……環境との戦いに変身しつつあることは、いわば歴史の必然かも知れない……本部で「現代社会に対する挑戦の委員会(CCMS)」主任職員ハーバート・スピールマン博士(米)から、同委員会の活動ぶりを取材しているうち、記者は、巨大な軍事機構の中枢にいることすら忘れかけていた……
本文末尾ではこうも書いた。
……CCMSの活動に、日本もまるきり無縁だったわけではない……だが、スピールマン博士によれば「日本の代表は熱心に聴いているだけで、積極的に討論に参加したり、注目される提案をすることは一度もなかった」という……ストックホルムの国連会議で暴露されたような、みみっちい国益最優先主義では「さもありなん」と思われる……自信と勇断をもって、世界中がアッと注目するようなアイデアを出してみるが良い。「厳しすぎる」と産業界が反発しても、やがては、それが新しい繁栄に導くことを、産業界自身、身をもって知る時がくるはずである……
ストックホルムの国連会議で、日本は公害対策の実績については先進国ヅラをして詳細に説明したが、全て独りよがりで、国際協力には積極的でなかった。
私がこの記事を書いてからほぼ半世紀、日本政府のありようにほとんど進歩が見られないのは、どうしたことだろう。官僚らの行動は、あいも変わらず「前例」第一主義。まず前例に依拠することから始まる。前例踏襲が一番の近道で、前例を変えることも滅多にしない(新しいことをする都度、間違えてしまう文科省の例もあるが……)。
前例がない場合どうするか? 何もしないのである。無視するのだ。でなければ、どうして良いかわからず、ひたすら狼狽する(直近の新型肺炎への対応を見るが良い)。こういう連中に私たちは多額の税金を払っている。彼らに「公僕」とか「納税者への奉仕」などという感覚はかけらもない。
ヨーロッパでの「放浪」は2ヵ月近く続き、帰国のためパリに戻ったのは7月10日ごろだったろうか。シャンゼリゼーにあった日本航空の支店に立ち寄り、手にとった日本の新聞で、田中角栄内閣(7月7日)の誕生を初めて知ったのだった。浮世の出来事から、それほど隔絶された旅だったのである。(つづく)


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