2016年10月7日号 Vol.287

日本の「心」を
自分らしく歌いたい
シンガー/作詞家 近藤ナツコ



日本の歌の定義は難しい。それはただ演歌やJポップと言ったジャンルやスタイルではなく、日本人の心や日本語をきちんと伝えられる音楽であることは要素の一つだと言えるだろう。

シンガー近藤ナツコは、多種多彩な趣味を持つ芸術趣向の父、音楽が大好きな6歳年上の兄を見て育った。
小学生の時、尾崎紀世彦の歌声に衝撃を受け、山口百恵やピンクレディーが出演する歌謡番組を見ては、おぼろげに歌手になりたいと、将来の自分の姿を頭に描いていた。
中学になると、時代は第二フォーク世代。かぐや姫、風と言ったフォークソングに惹かれ口ずさんだ。「モーリス・ギターを持てばスーパースターも夢じゃない」そんな宣伝文句がラジオから流れる中、女友達と一緒にグループを結成し、初めて人前で歌う楽しさも味わう。
大学生になったある日、兄が出演するライブハウスを初体験し、とてつもない衝撃を受ける。
「こんな間近で生音が聞ける場所があったんだって、本当に感動しました。それで、いつか向こう側の人になりたい、と思い始めたのです」
社会人になって仕事をしながらも、夜はライブハウスでシンガーとして歌い続けた。
音楽への興味は更に深まり、アレサ・フランクリン、サムクックなど、ブルース、リズム&ブルース、モータウンにも夢中になった。
黒人音楽に心底惚れ込むものの、同じようには歌えない葛藤からか、マイクの前に立っても次第に声が出なくなっていくナツコ。自分らしい歌とは何なのか?焦りがあったのかもしれない。
「アメリカの音楽が好きなのに、米国を見たことがない…」
挫折を味わう25歳のシンガーは、会社を辞め、ニューヨーク行きを決意する。音楽の街、マンハッタン。さらに新境地を求め、彼女の足はオハイオ、シカゴ、メンフィスへと向かう。そして、最後に辿り着いたのがニューオリンズだった。街に溢れる音楽の泥臭さにナツコの血は妙に騒ぐ。
そんな中、小さなライブハウスを訪れたナツコは、ギタリストとピアニストのデュオ演奏に感動する。
「声が出ないと思いつつも、言われるがままステージに立ちました。でも、彼らの素晴らしい演奏を前に、私がここに来なければ、この出会いはなかった。出会いがあるからこそ感動が生まれ、音楽を通して人と人が繋がるんだって、そう思ったら自然と声が出たのです」
日本に帰ったナツコは水を得た魚のように「歌う」ことを楽しんだ。オリジナル曲を歌い始め、ライブ活動を続け、知り合いの勧めで受けたレコード会社のオーディションに通過し、28歳の新人歌手はメジャーデビューを果たした。

ナツコには作詞家と言う別の顔もある。最初は、英語の歌詞が聞き取れない為、外国曲のメロディーに合わせて日本語の歌詞を書いていたのだが、それが周りで好評となり、作詞家の仕事も入ってきた。しかも、同性ではなく異性シンガーが歌う歌詞を数多く手がける。男心を心得た女性作詞家ナツコ。「自分の中にも男っぽいところがあるみたいです」と笑う。
「自分の思考は日本語で、作る歌詞も日本語です。きちんと言葉を伝えられる音楽が大好きですし、それが日本の歌だと思います」ナツコにとって作詞家であることは、シンガーとしての深みを出す大きな武器となっている。

シンガーとしては、現在、様々なユニットで活動している。杉原徹ーTETSUーとのボーカル・ユニット『Double Voice』、ギタリスト・石井完治とのアコースティックDUO、70~80年代の歌謡曲を歌う昭和歌謡バンド、ディスコ・サウンドを追求したボーカルグループ『ファンクの会』など、実に幅広いジャンルを歌う。
そんなナツコが思い出のニューヨークに戻ってくる。
「とてもワクワクしています。背中を自分の手で押しながら、みんなに押されながら、自分らしく大好きなアメリカと日本の歌を歌いたい」と語る。

日本語を大切に「歌」に挑戦し続ける近藤ナツコが、かつて彼女が欲した黒人シンガーにない、日本人の歌、「近藤ナツコ」の歌を聞かせてくれるだろう。(河野洋)

A Night of Fantastic Great American &
Japanese Song Book
■10月8日(土)6:00pm/7:00pm
■会場:Tomi Jazz
 239 E. 53rd St., Lower Level
 Tel: 646-497-1254
■$10(ミニマム$10:飲物、食物)
www.tomijazz.com



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