
「Music is Feeling」が伝えられたら嬉しい
ピアニスト 市川 純子

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Patricia Burmicky / Photo Uno
「なんとなくピアノを続けて…」ややもすれば、やる気が感じられない言葉だが、ピアニスト市川純子は、この「なんとなく」が発展し、ニューヨークへ飛び立ち、演奏家にとって頂点のひとつとも言えるカーネギーホールの舞台に立つことになった。
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人口が16万人という北海道帯広市に生まれ育った市川は、音楽とは余り縁がない家庭の中、母の娘へのささやかな願いから4歳でピアノを始めた。決して熱中するほどではなかったものの、楽しいが故、ピアノは続けた。また、帯広青少年リードオーケストラに所属していたこともあり、小学6年生で欧州へ演奏旅行を体験し、子供の頃に海外を知る。
中学3年になると、チャイコフスキー作曲のピアノ協奏曲のソリストとして、ソルトレークシティーでアメリカ・デビュー。世界はさらに広がり、やがて音楽家への志が芽生える。
「それまで、なんとなくピアノを続けていたのですが、高校2年で音楽大学進学を決めました」と微笑む。
大学卒業後の海外留学を念頭に置きつつ、東京藝術大学へ進学した。そして4年生の時、これまでの「なんとなく」に喝を入れるかのような衝撃的な出逢いが待っていた。
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それまで海外には出ていたものの、留学先を決めあぐんでいた市川は、著書『With Your Own Two Hands』のプロモーションを兼ねて東京を訪れていたピアニスト兼作曲家のシーモア・バーンスタインのマスタークラスを受講する機会に恵まれる。そして、シーモアの人間性に惚れ込んだ。
ニュージャージー州ニューアークに生まれたシーモアは15歳にして既にピアノを教えていたというほど、教育者としても若くから才能を発揮した人物だ。中には、幼少の頃から数えて50年近くもシーモアのレッスンを受け続けている生徒もいると言う。
そして2000年、市川はシーモアが教壇に立つニューヨーク大学で勉強する為に、日本を離れ米国に移住した。それ以来、彼女はシーモアの大切な生徒の一人となり、15年経過した今でもレッスンを続けている。
同大学の修士課程を終えた後も、シーモアのレッスンを続ける理由も含め、ニューヨークに残りマネス音楽大学を卒業。さらに、昨年にはラトガース大学で博士号を取得した。
「ここで音楽の勉強を続けたかったので、(学生査証を維持する為にも)学校に通い続けたのです。でも学生は36歳にして終了です」と笑う市川だが、シーモアが教えの達人なら、市川は勉強の鉄人と言えるだろう。
「音楽で人生が豊かになる。練習がうまく行くと、人生がうまく行く」シーモアの言葉は彼女の心をつかんで離さない。「シーモアはピアノの先生であると同時に哲学者なのです。音楽には人柄が現われます」と師を語る。
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そんなシーモア・バーンスタインに興味を持つのは市川だけではない。俳優のイーサン・ホークは監督として、ドキュメンタリー映画『シーモア:アン・イントロダクション/Seymour: An Introduction』でシーモアを描いた。
そして、この映画のスクリーンにも生徒の一人として登場する市川は、同作品に強く関連を持つコンサートを行うことになった。
1部では、映画に使われていた曲を、2部では、シーモアが作曲した作品を演奏する。中でもシーモアがイーサン・ホークの為に書き下ろしたワールド・プレミアとなる「The Hawke (for Ethan) 」は聞き所の一つとなる。
ちなみに、このコンサートを前にシーモアは88歳の誕生日を迎える。ピアノも88鍵ということで、今回のコンサートはシーモアにとっても、市川にとっても非常に意味のあるものになるだろう。
「シーモアの口癖ですが、『Music is Feeling』が伝えられたら嬉しい」と、コンサートを前に力が入る。
「趣味はありません。フィアンセにも『あなたにはピアノしかないね』と言われています。時間さえあればピアノを弾いて、私にとって練習は仕事なのです。コンサートは練習した結果が出ます。練習以上のものは本番では出ません。練習の質が、本番を決めるのです」
そんな言葉を残し、市川はシーモアの見守る中、カーネギーホールのデビューリサイタルに挑む。活動の場所が、北海道からニューヨークへ移ったが、市川の練習の虫は一向に治らない。
(河野洋)
Junko Ichikawa Piano Recital
■4月27日(月)8:00pm
■会場:Weill Recital Hall
@ Carnegie Hall:881 7th Ave.
Tel: 212-247-7800
■$29〜$39.50
■www.carnegiehall.org
河野洋: 名古屋市生まれ。12歳でロックに目覚め、ギター、バンド活動を始める。89年米国横断、欧州縦断のひとり旅の後、92年NYに移住。03年ソロアルバムのリリースと同時にレコード会社、Mar Creation, Inc.を設立。現在は会社では、アーティストマネジメント、PR、音楽、映像制作などエンターテイメントに関連するサービスを提供するかたわら、「NY Japan CineFest」「j-Summit New York」などのイベントをプロデュース。その他にも、エイズ、3.11震災後の日本復興に関わるチャリティイベントや、平和、社会、環境問題などをテーマにしたプロジェクトにも積極的に取組んでいる。
ウェブサイト : www.marcreation.com / メール: contact@marcreation.com 「オンガク喫茶」のこぼれ話はブログ「ゼロからのレコードレーベル」で
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