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 よみタイムについて
   
よみタイムVol.83 2008年2月22日号掲載

元芸妓 今井 茜さん

「ほんまもん」の日本文化NYで
17歳で舞妓に憧れ花街へ

 「おはようさんどす」祗園の一日はこの言葉から始まるが、ニューヨークにいても、この習慣は変わらない。大半、人と会う時は、着物で通す。
 「一番着やすくて、疲れしまへんし、多くのアメリカ人に日本の文化を見てもらいたいから」が理由だ。
 7年間の舞妓、芸妓生活をきっぱり止め、06年夏にニューヨークにやってきた。
 「以前、海外に行った時に世界の広さと小さい自分を感じ、いつか外国に行きたいという思いが募りました」。また「多くの外国人の客と接して英語の必要性を感じた」という。
 今は、ニューヨーク州の大学で観光学を学んでいる、卒業まであと1年だ。その間、「NY着物クラブ」で着付けや、おもてなしの心など様々な場所で教えている。

 踊りをはじめたのは2歳の時。香川県でサラリーマンの父親と芸事の好きな母親の長女として生まれる。何しろ踊りが大好きで、デザートに飾られているミニ傘をとって踊って見せたり、ピアノの鍵盤にかけられている赤い毛氈(もうせん)を腰に巻き、帯にして踊るなど、親が驚くほどだった。
 「物心がついた時には、藤間流の先生について踊ってましたね」と笑う。9歳の時、花街の「おどりの会」で初めて舞妓に出会った。「きれいな衣装を引きずって歩き、白塗りをしてとてもきれいどした」。
 「舞妓さんになりたい」と長い間、あこがれを抱いていた。
 中学校を卒業しても、気持ちは変わらなかった。親の勧めで高校には入ったものの気持ちは京都に行って舞妓になることだった。17歳の春、思い切って両親に打ち明けた。
 「舞妓になりたい。京都に今すぐ行きたい」。最初は両親も面喰らったが、子どもの気持ちは十分知っていた。父親は知り合いを通して京都・祇園甲部の置家を紹介してくれた。「やるんだったら、とことんやれ」と激励された。

 京都の花街は祇園甲部、宮川町、上七軒、祇園東新地、先斗町の五花街で成っている。祇園甲部はその中でも最も大きく10数軒の置家がある。
 右も左も分からない花街の世界。まず置家さんのお母さんは、祗園に慣れることと舞妓になるため、5つの言葉を教えた。「おはようさんどす」「おたのもうします」「おこしやす」「すんまへん」「おおきに」。
 電話番も「新米」にとっては大事な仕事。きちんとした京ことばで応対しなくてはならない。
 「ちょっとお待ち下さい」ではダメなのである。「ちょっとお待ちやしておくれやす」といわなければならない。
 「京ことばを話すまでには、言い回しや、微妙なイントネーションの違いに大変苦労しました。讃岐弁とは全然ちがいますから」。
 毎朝早く「女紅場学園(にょこうばがくえん)」に行く。ここは、舞妓になるための訓練所で舞、三味線、茶の湯が必須科目、その他、お囃子(鼓)、小唄、能など午後3時過ぎまでびっしりと学ぶ。先生はその世界の家元など、普段のお稽古事では接することのできないそうそうたる人たちだ。入学はいつからでもいいし、卒業もない。芸妓になっても通い続ける。芸に終わりはないからだ。
 「舞」は流派が藤間流ではなく井上流だったため、随分苦労した。何事も初めて経験することばかり。
 「辞めたいと実家に帰ったのどすけど、2回とも親から連れ戻されました。お前が決めたことなんだから、最後までやれ、と言われたんどす」と当時を懐かしむ。
 1年の仕込みが済んで、やっと舞妓デビュー。名前も「照ひな」と付けられた。見事な舞に、心のこもったおもてなし。花柳界に「照ひな」の名前はすぐ広まった。このころ、1年で最も売り上げの多い芸舞妓に与えられる「売花奨励賞」を受けている。
 4年後には衿替(えりかえ)といって、舞妓から芸妓になった。テレビ、雑誌、新聞などでも取り上げられ、人気芸妓になった。
  そんな「人気絶頂期」にあえてのアメリカ行き。「皆から、おきばりやす、と励まされました」という。夢は「海外から日本に来るお客さまのために、オーダーメイドの京都旅行をプロデュースすること」だそうだ。
 日々生活の中で「おたのもうします」「おこしやす」「すんまへん」の言葉を通して「ほんまもんの日本文化」をニューヨークでコツコツと広めている。(吉澤信政記者)