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よみタイムVol.103 12月26日号
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よみタイムVol.103 2008年12月26日発行号
「4つ星」死守に正念場
大半は新規事業に携わる

ザ・キタノ・ニューヨーク
取締役総支配人

櫻井 宏征

 つい数か月前まで、ニューヨークのホテルビジネスは勢いがあった。シーズンによっては、部屋を探すのが至難のワザ。仮に見つかったとしても、破格の値がつけられていた。
 全部で149室あるホテル・キタノも9月までのルーム・オキュパンシー(部屋の稼働率)は、ほぼ満室状態の90%を超えていた。
 金融危機による急激な経済の冷え込みで「90%」の大台を割った。
 「今まで右肩上がりでしたから、これから2、3年は需要が弱くなるのは間違いないですね。どう、落ち込みを最小限に抑えるかがキーです」と話す。
 アメリカのホテルには公の機関がリサーチして公表している「格付け」がある。最高は5つ星でセント・リージス、フォーシーズンズ、リッツカールトンなど5つのホテルが入っている。
 次が4つ星で「ザ・キタノ」など20ホテルがランクされている。この「格付け」はホテルとしての高い評価の現れとなっている。
 毎年調査機関のインスペクターが来て部屋の隅々を調べる。室内テレビの大きさが「37インチ以上の液晶」などと指示される。97年に4つ星をとったが02年に3つ星に降格された。設備面の古さなどが原因だったが、一度降格されると、ランクアップするためには最低5年の年月がかかるそうだ。「二度と降格はしたくないですから」。
    ◇
 ホテルマンとしてスタートしたのは66年。慶応義塾大学経済学部から帝国ホテルに入社。64年の東京五輪開催へ向けて、ホテルオークラ、ホテルニューオータニなど続々とホテルが建設された。「ホテルビジネス」が初めて注目された。
 「五輪景気」が静まった2年後は「就職難の時代」だった。「外国に憧れていましたからね。あのころは。ホテルにはいろんな外国人がきますから、何となくホテルマンになってやろうと」。
 当時は一般公募ではなくほとんどが縁故によるもの。知人の紹介で試験を受け合格。ホテルマンとしての第一歩は「ベルマン」からだった。
 「部屋の掃除係りや力仕事なんかもあったんですが、ベルマンに空きができたので、1年間やりました」。
 さらに、フロント業務、客室予約などを行ったあと70年の大阪万博受け入れ準備プロジェクトの一員に。その後71年から2年間、ペニンシュラホテル系の「香港ホテル」に日本人担当として、初の海外駐在した。
 日本に戻ってきてからは「タワー建設」「上高地帝国ホテル建替」のプロジェクト・メンバー、90年の「帝国ホテル100周年記念準備委員会」の委員、さらに有楽町駅前に建設された「東京国際フォーラム」のケータリング受注を立ち上げるなど、大半は新規事業に関わってきた。
 ニューヨークは仕事で何度か来たことがあるが、駐在は初めて。8月に赴任したばかり。「経済、文化の中心都市ですが、色んな人種が解け合っていて、奥の深い街ですね」。
 09年の大きな仕事は8室あるスィートルームのリノベーションだ。「4つ星を維持するためには、常に改善したり、新しいものを取り入れていかないといけません」と話す。
 95年に、全149室の中型ホテルに建て替えた。「きめ細かなサービス」「安心して泊れるホテル」として日本人やアメリカ国内外から高い評価を得ている。
 「これからのホテルビジネスは二極化されますね。デラックスホテルのひとつとして、セールス部門の強化をして、90%の稼働率を支えていきたいです」。 
 ホテルから歩いて2分のところに夫人と住んでいる。テニスが好きだが「まだ、テニスクラブが見つからないし、仲間もいないんですよ」と口元を緩める。美術館巡りや、オペラ鑑賞にも興味を持っている。
 「時間を見つけて、世界一流の文化に触れたいですね」と目を細めた。
(吉澤信政記者)