Copyright 2008 YOMITIME, A Division of Inter-Media New York, Inc. All rights reserved


お特な割り引きクーポン。
プリントアウトして
お店に持って行こう!

よみタイムVol.103 12月26日号
イベント情報






 連載コラム
 [医療]
 先生おしえて!

 [スポーツ]
 ゴルフ・レッスン

 NY近郊ゴルフ場ガイド


 [インタビュー]
 人・出会い
 WHO
 ジャポニズム
 有名人@NY

 [過去の特集記事]

 よみタイムについて
 
よみタイムVol.103 2008年12月26日発行号

本来の神道の姿、海外に
伊勢神宮の境内で産声あげる

インターナショナル・シントウ・ファンデーション
中西 正史

愛知県真清田神社で演舞を奉納する中西さん

 市内55丁目のインターナショナル・シントウ・ファウンデーションに、4人目の神職として11月26日着任した。
 「お伊勢さん」と親しまれて呼ばれる日本の神社界の中心をなす本宗(ほんそう)伊勢神宮の外宮(げくう)の境内にある神職職舎で産声をあげた。「家族、親戚も大体神職です」とはにかむ。御祭神に近い環境の中で、伊勢神宮の神職である父親に、ことあるごとに神主になるよう刷り込まれて育った。
 小学校のころ、まわりの子どもたちが将来の夢として「プロ野球の選手」とか女の子なら「看護婦さん」「お嫁さん」などと書く中「神主さん」と書いた。「父親から『カンヌシ』と書けと言われてましたからね。そしたら小学校の先生に怒られまして。こんな小さい子が神主と書くわけがないと。もう少し(子どもを)のびのびと育ててくださいって。そしたら父親は『親の背中を見て書いたんだろう』って反論してました」。(笑)
 三重県伊勢市の狭い世界の中で、次第に外の世界への好奇心を募らせた。高校生の時はオウム事件なども起こり、世の若者全体が「宗教」というものにアレルギーを起こす時代でもあった。一度外から自分の街や育った環境を見つめなおしてみたいと思った。ものを書くことが好きで、成蹊大学の日本文学科へ進んだ。作家や記者になりたいと漠然と思っていた。
 東京で学生生活を送るようになると、周囲は三重県のことはそれほど知らないのに、伊勢の名前を出すと即座に反応した。「伊勢神宮に関する質問も受けるようになったのですが、何も答えられなかったんです」。
 恥ずかしかった。当時父親は国学院大学教授で伊勢神宮の「式年遷宮」の権威と言われていた。父親は中西さんが14歳の時に、神宮の神職から大学教授に転身していたのだ。その父親の専門「式年遷宮」について聞かれても何も答えられない、故郷の伊勢神宮について何も知らない自分に初めて気がついた。
 ちなみに「式年遷宮」とは、伊勢神宮の社殿を20年ごとに建て替える行事だ。1300年の間、営々と継承されてきている。次は平成25年に第62回式年遷宮が予定されている。コンセプトは、御社殿から宝物や御神体に纏わるものまですべてを新しくすること。
 「もったいないと思われるかも知れませんが、最も大切なことは再建する技術の伝承なんです。昔の日本人が培ってきた技術をそのまま用いて今の人間でも復元できるということが大事。ローマのように遺跡を保存するというのではなく、逆に建て替え続けることでそのノウハウを保存してきたのです」。
 この行事の遠大さは、将来建て替えに使用する木材のために植林まで行っているという事実からもわかる。「今の人は寿命が長くなっているので、20年ごとに建て替えると3代くらいに技術が伝承されているのたそうだ。

 大学在学中、バックパッカーとしてアイルランド、イギリス、ニュージーランド、バリ島などを旅行して自分の眼で見てまわった。中国は8回ほどもグルグル回ったという。国学院の大学院に進んでからは1年間、アメリカ西海岸に留学していたので、今回初めてのニューヨークもすんなり溶け込めたというほどの国際派。
 「若いころから、外の眼に神道はどう写っているのか、という問題意識を常に持ってきました。神道という宗教自体、きわめて内向的な宗教で、こんな現状でいいのだろうかという思いも強くあった」という。ハワイなどにも神社はあるが大抵は移住した日系人が自分たちで建てたもの。アジアにあった神社は侵略のシンボルとして終戦直後に憎しみの対象として破壊されている。
 今でも海外のインタネットで「神道」を検索すると、すぐにマイナスイメージの「ヤスクニ」が出てきたりする。そういう側面は実際の神道のほんの一部の現象に過ぎないのにと思う。
 「ステート・シントウ」という言葉があって、戦後、GHQは主に神道を対象として政教分離政策をとった。『国家神道』というのは日本語にはなく「ステート・シントウを訳したもの」という。
 近代国家を作っていく上で、明治政府官僚たちは「伝統の中にある皇室を、イギリスやドイツの立憲君主制に伍するように、仏教と切り離し、都合よく神道をひとつ上のものにしたんです。元来、日本人の精神世界は、よく言えば寛容というか大雑把で、神道と仏教が仲良く共存していたのに。王政復古とは仏教伝来以前の神道と皇室が一体となった祭政一致と結びついた『あるべき姿』に戻すべしとしたんです」。
 この戦前の考え方が、海外に於いて神道に対する認識を誤らせる結果になった。この誤解を解き、ギャップを埋め、「本来の神道の姿を海外に発信するための具体的な方法を考える事。これが私の課題です。当面はコロンビア大学の神道学講座などを聴講し現状把握を試みようと思っています」。
 本来、神道というのは森と共生する宗教で、同時に祭祀の宗教と言われている。まず形から入る。その後で形に心がともなっていくも。昔の人たちがやってたことをそのまま形を変えず継承する。
 「形だけやっててもしょうがないと思うかも知れませんが、形は昨日今日考えついたものではない。大切なことは伝統とか文化を継承すること。難しい祝詞も何度も読んでいくうちに、だんだん気持ちが分かってくるんですね。まず形を整えて心がともなっていくというのが神道であり、神職のあるべき姿だと思っています」と熱心に話す。
 「普段忘れそうな日本文化に触れる機会として、また日本人としての心のよりどころにしていただければうれしいですね」。物静かな話し振りの奥にシンの強さが垣間見えた。
(塩田眞実記者)