お特な割り引きクーポン。
プリントアウトして
お店に持って行こう!

よみタイムVol.55 12月22日号
イベント情報






 連載コラム
 [医療]
 先生おしえて!

 [スポーツ]
 ゴルフ・レッスン

 NY近郊ゴルフ場ガイド


 [インタビュー]
 人・出会い
 WHO
 ジャポニズム
 有名人@NY

 [過去の特集記事]

 よみタイムについて
よみタイムVol.55 2006年12月22日号掲載
  「松風荘の会」会長 小澤悠一 & 日本画家 千住博
  聞き手・ノンフィクション作家 朽木ゆり子

今、よみがえる松風荘

フィラデルフィアにある日本建築「松風荘」がにわかに脚光を浴びている。07年5月1日から日本画家、千住博さんが描いた襖絵など合計20枚の大作が、永久保存されるからだ。ノンフィクション作家の朽木ゆり子さんが「松風荘の会」会長の小澤悠一氏と千住博さんにたっぷりと「松風荘」への想いを聞いた。

作品の著作権も寄贈するから
管理にお金をかけて欲しい 千住


朽木:本日は、フィラデルフィアにある日本建築「松風荘(しょうふうそう)」についてお話いただくためにお集まりいただきました。松風荘は1954年にニューヨーク近代美術館(MoMA)の中庭に建てられた日本建築ですが、それがフィラデルフィア市のフェアモントパークに移築され、現在に至っています。07年は、千住博さんが描かれた絵が障壁画として奉納され、松風荘が新しい姿を見せる年になりそうです。

小澤:千住さんには、松風荘の二間もある大きな床の間と襖絵、合計20枚の大型の絵を描いていただきました。4月29日に奉納式を行って、5月1日から一般公開することになっています。これらの作品は、06年9月には韓国の光州ビエンナーレに招待参加し、現在は東京の山種美術館で、千住さんの個展の作品として3月4日まで展示されています。また、12月10日には、NHKの新日曜美術館で、フィラデルフィア松風荘の襖絵「千住博 渾身の滝」として放映されました。この番組は物故された日本作家しかとりあげないといわれているので、今回の千住さんの作品の取り扱いは異例のことだったと思います。

千住:確か03年の秋でしたが、メトロポリタン美術館とボストン美術館で特別顧問をなさっている小川盛弘さんを通してお話がありました。松風荘には、実は東山魁夷画伯が描いた襖絵がはめ込まれていたのですが、管理が行き届かない時期に破壊されてしまったんです。小川さんは、松風荘が日米文化交流史中最大ともいえる事業でありながら、東山魁夷の絵が跡形もなくなってしまったのは非常に残念だとおっしゃって、ぜひ私にもう一度襖絵をかいて欲しいと言われた。ジャパン・ソサエティーとアジア・ソサエティなどでの私の作品をご覧になって、指名してくださったんです。
そこで、お引き受けするに当たって、材料費はすべて私が持ち、作品の著作権も寄贈するから、今後同じような悲劇が起こらないように、管理にお金をかけて欲しいと最初に申しあげました。

小澤:03年に小川さんに松風荘に来ていただいたところ、こういう本格的な日本建築に襖絵がないのは寂しいので、東山先生のオリジナルの模写でもいいから入れたいと考えている、と私が申し上げたところ、それでは奉納画家を探してあげましょう、とおっしゃってくださったんです。

朽木:松風荘というと、ニューヨーク州のサリバン郡にある「松楓殿(しょうふうでん)」と名前が似ていることもあって混同しがちです。たまたま、月刊文藝春秋の新年号で、ニューヨーク在の実業家滝富夫さん(現タキヒョー相談役)が、松楓殿を買い取られた話を書いておられますね。松楓殿に関して、少し説明しておきましょうか。
 松楓殿は、もとは1904年のセントルイス万博の日本館だった建物で、京都御所の紫宸殿を模して建てられたものです。万博終了後、この建物は当時ニューヨークで活躍していた高峰譲吉氏に、日米交流の功績に報いる形で、日本政府が譲渡しました。高峰譲吉は、富山生まれの化学者ですが、19世紀末に渡米し、消化酵素のタカジアスターゼを開発し、またアドレナリンの結晶化に成功した人物です。実業家としても大成功し、「日本クラブ」や「ジャパン・ソサエティー」を設立しました。高峰氏はこの建築物をサリバン郡のメリーウォルドに移築し松楓殿と名付け、そこを使って民間外交を展開したわけですが、高峰氏が亡くなると売却されてしまいました。それがいろいろな人の手を経た後に買い取られ、現在修復中と聞いています。

小澤:この建物、外観は日本的ですが、内部は和洋折衷です。セントルイス万博当時、日本では西洋向きの家具が作られており、その輸出を振興するためのショールームのような存在でもありました。
朽木 さて、松風荘はMoMAの中庭に建っていたということですが、なぜニューヨークの真ん中に日本建築が建つことになったのでしょうか?

住宅のモデルは光浄院客殿
桃山時代の国宝です 小澤


小澤:当時MoMAは現代建築シリーズの一環として、著名な建築家の設計した住宅を展示していました。当時は戦争が終わって、住宅ブームだったのですが、日本建築がモダニズム建築に影響を与えたのではないか、と言われるようになった。 当時のMoMAの建築キュレーターはアーサー・ドレクスラーという弱冠27歳の若者でしたが、フィリップ・ジョンソンという有名な建築家がやはり日本建築とモダニズム建築の共通点を指摘した。ならば、日本の住宅を実際に建てて展示しようということになった。それを、日本美術や建築に大きな興味をもっていたジョン・D・ロックフェラー三世がサポートして、日本へ出かけてリサーチした結果、建築家として吉村順三が選ばれた。そして、滋賀県大津市にある通称三井寺、天台寺門宗総本山園城寺(おんじょうじ)の塔頭の一つである光浄院客殿を、住宅のモデルとしようということになったわけです。この建物は、桃山時代に建てられた国宝です。

千住:吉村さんは、タリータウンにあるロックフェラー私邸の日本家屋、そしてマンハッタンのジャパン・ソサエティーの建物も設計していますね。

朽木:設計は吉村さん、施工は代々徳川家に仕えた名古屋の宮大工、伊藤平左ェ門(十一世)、庭園は佐野旦斎と、松風荘は日本の超一流の仕事ですね。日本の伝統的な建築ですから、釘を使わないで、刻みを入れてはめていく方法。一旦名古屋で組み立てて、それをバラバラにしてこちらに運んで組み立て直したわけですね。

小澤:展示はMoMAでしたが、日本でかかる費用は、設計、材料費一切を日本で持つということで、日米協会が中心になって資金を調達した。当時の日本にとって、これは戦後の誇りをかけた一大事業だったんです。250社近い企業が寄付をし、当時のお金で合計1800万円というかなりの金額が調達されたということです。
 私が感動したのは、外務省の職員たちが自分のポケットマネーで30万円自発的に寄付したという話です。何とかして日米関係を修復したいということで、彼らにとっても非常に重要なことだったんですね。

朽木:MoMAで、実際に住宅を組み立てるのは大変な難事業であったということですが、当時の写真を見ると、住宅の縁側の前には池があります。この池を掘るのも大変だったようですね。掘り出したら、MoMAの土台のコンクリートがむき出しになってしまったとか。

小澤:吉村さんの設計では、池ではなく、石庭だったのです。ところが、園城寺の光浄院には池があり、やはり池が欲しいということで、急遽設計を変え、吉村さんは大変な思いをされたようです。

朽木:日本から大工さんを呼んで、組みたてたのですね。

小澤:日本から大工を2人、左官、屋根職をひとり、あとはこちらでハワイの日系人の大工などを雇ったらしいです。日当が一日10ドルであったということです。

朽木:そういった苦労のかいもあって、この住宅は展示物として大成功しました。MoMAのある53丁目から、五番街に向かって長蛇の列が出来たとか。

小澤:そうです。この住宅には、1954年6月から1955年の10月末までの間に約22万4000人近い入場者がありました。冬の間は閉まっていましたから、大変な数です。畳は1年で擦り切れて、取り替えています。

朽木 大成功した住宅ですが、展示期間が終わるといったん解体され、どこかへ移築されることになった。それがフェアモントパークだった。

小澤:様々な場所が検討されたのですが、1876年にアメリカ建国記念百周年万博が行われたフィラデルフィアに決まったのです。市の篤志家が資金を出し、58年に大工を呼んで、組み立て直しました。25セント程度の入場料をとって、誰でも入ることができました。ところが、一般公開してしばらくしてから、予算不足で閉めていた時期があります。その間、塀もなかったので、廃屋化してしまいました、フェアモントパークが管理をするということになっていたのですが、予算がなかったんですね。1万1000坪もある公園ですが、当時の予算はセントラルパークの半分以下だったと聞いています。
建国二百周年記念の1976年になって、フィラデルフィアのフランク・リゾー市長が、在ニューヨーク日本総領事館の中島大使に、松風荘を何とか元の状態にすることに協力してほしいと手紙を書いたわけです。で、岸信介氏が会長をしていた日米協会が中心になって調査をした。調査団が来て調べたところ、襖は破かれたり、あるいは中で焚き火をしたような形跡もあって、すべて破損されていた。建物自体も目の当てられないような状態だったのです。この時は、日米協会中心に総額5500万円が集められ、大幅な修復が行われました。
 その後、82年に非営利団体の「松風荘友の会」ができ、市から管理を引き継ぎました。その後99年に、檜の皮で葺いた屋根の修復をしています。檜皮の寿命が25年から30年なので、それを越えると雨漏りがするためです。これも大規模で1億2000万円かかりました。なにしろ、檜皮の調達、それに日本から職人に来てもらったりと大変費用がかかるのです。