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よみタイムVol.79 12月21日号
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よみタイムVol.79 12月21日発行号 年末年始特別号

メジャーを影で支える
トレーナー西尾嘉洋の人生
松井稼を復活させた
今年からアスレチックス専属に


 毎年、日本からメジャーリーグのスターを目指してやってくる。昨年は松坂大輔、岡島秀樹のレッドソックスコンビが大活躍してワールドチャンピオンに貢献した。常に光りのあたるメジャーリーガーの影で、彼らを支えている人もいる。日本人トレーナー、西尾嘉洋。47歳。鍼、マッサージで故障を持った選手を治療しグランドに送り込んでいる。今年、ロッキーズからアスレチックスの専属トレーナーになった。西尾のキメ細かで真心のこもった治療は多くの選手、球団から熱いまなざしをおくられている。(文・吉澤信政記者)


 ワールドシリーズはレッドソックスとロッキーズの戦いとなった。ベンチ裏で西尾は、ロッキーズ・松井稼頭央の一挙手一投足に見入っていた。左ひざ、腰に持病がある。いつ、故障が起きるとも限らない。西尾がロッキーズのトレーナーになってから、同じ日本人ということもあって、松井は安心して西尾の治療を受けた。毎日、腰やひざを、ストレッチングやマッサージで痛みを和らげる。

 松井はメッツからロッキーズにトレードされて蘇った。何よりも故障を克服し、思い通りのプレーができるようになったからだ。二塁の守備も安定してきた。メッツ時代、何度も「ブーイング」の嵐にあっていたが、07年は失策はわずか4個。盗塁も32個と暴れまくり、チーム初のワールドシリーズ進出の立役者になった。
 「別に私が来たから、松井君の成績が良くなったとは思わない」と謙遜するが、西尾の仕事は故障の選手を蘇らせることにある。

 野球少年だった。1960年愛知県一宮市で生まれ、小学校から野球を始めた。「将来はプロの選手になりたい」と考えていた。しかし、中学時代に肩を壊し、選手の道は断念。野球の名門、愛知高校ではマネジャーでチームをまとめた。

 大学では、現在、巨人の木佐貫、阪神の赤星、中日の井端などスター選手を輩出している東都六大学の名門、亜細亜大学に入学した。

 当時の亜大には、後に近鉄バッファロー(現オリックス)に入団した名二塁手・大石大二郎、ヤクルト・スワローズにドラフト1位で入団した宮本賢治ら一流プレーヤーがいた。

 「やつらの体管理はオレがやる」とマネジャー兼任でトレーナーの仕事についた。だが、独学では限界がある。先輩から「これからはトレーナーをしっかりやれば、プロの球団から声がかかるかも知れない」といわれ、3年間、鍼(ハリ)、マッサージの学校に通った。その後、大学の全日本チーム専属で2年間勤め、カナダ、ヨーロッパ、アメリカなど各国をチームに帯同した。

 ソウル五輪のあった88年、待望のプロ野球チームから声がかかった。中日ドラゴンズだった。今、北京五輪の監督、星野仙一が監督だった。その年にリーグ優勝も経験している。星野の下で4年間、さらに後任の高木守道監督の下で2年間働いた。

 西尾にとって一番の思い出は、91年に日大からドラフト1位で入団した落合英二投手が、実は右ヒジを骨折していた。「何とかしてくれ」と球団から懇願された。サファイアを埋め込む手術をしたあと1年間、落合とリハビリに付き合った。

 「絶対、治してみせる」の意地があった。落合のためにメニューをつくり、毎日のようにハリとマッサージの繰り返しだ。最初はなかなか効果が出ず、苦しい日々が続いた。「お互い頑張ろう」励ましあった。

 その甲斐あって、落合の右ヒジは良くなった。多くの球は投げられなかったが、中継ぎのエースとして06年まで現役で働いた。

「メジャー」夢見てロスへ
 故障請負人の仕事まい進


 西尾には「メジャーへの夢」があった。33歳になった93年ロサンゼルスに渡った。結婚したばかりの有紀夫人と一緒だった。ツテもない。ハリ、マッサージの仕事で生計を立てながら英語学校に通った。ある程度、英語の読み書きが出来るようになると、アリゾナキャンプでトレーナーのインターンの仕事を見つけた。マリナーズ、パドレス、ジャイアンツ、アスレチックスなどがキャンプを張っている。元中日にいたダン・スロートがパドレスの選手でいた。

 「ヨシじゃないか。アメリカでトレーナーをやるのか」と多くの選手を紹介してくれた。最初はインターンでパドレスなどのトレーナーとして雇われた。

 「メジャーには色んな国の選手がいるじゃないですか。筋肉が全然、日本人と違うんですよ」と驚く。だが、西尾のハリ、マッサージは評判を呼ぶようになる。ひとつの体では間に合わなくなるほど、仕事が入ってきた。4年間インターン生活したあと、アスレチックスからメッツの監督になったアート・ハウに請われてメッツお抱えのトレーナーになった。04年の年だった。だが、ロサンゼルスに住んでいる西尾にとって単身でニューヨークに住むのはきつかった。翌年、ロスに戻った。そのころ、ロッキーズから「ホームゲームだけのトレーナー」の仕事が舞い込んだ。

 「コロラドならロスに近い」と引き受けた。ロッキーズにはへルトン、ホリデーなどオールスター級の打者がいる。彼らから、時間があればマッサージのリクエストが入る。でも、トップ選手だけではない。マイナーから上がってきた選手にも目配りをしてあげなければならない。

 「遠慮している選手もいるので、声をかけて時間を見つけてマッサージしてあげるんですよ」という。松井は06年にメッツからトレードされてきた。松井との二人三脚でワールドシリーズにも進出した。

 だが、今年から松井はアストロズ、西尾はアスレチックスと別リーグになった。なかなか会う機会もない。
 「でも、松井君はもう大丈夫。ケガも癒えたし、アストロズの二塁手として活躍しますよ」と太鼓判を押す。
 「メジャーの夢」を叶えた西尾は、今年も新天地で今まで通り、選手の故障請負人として自分の仕事にまい進していく。
=文中敬称略=