2017年11月3日号 Vol.313

郷愁と憧憬
数奇な生涯生きた画家
「マルティン・ラミーレス:旅路」


Untitled (Arches), c. 1960-63. All the images: (C) Estate of Marti´n Rami´rez Courtesy Ricco Maresca Gallery


Untitled (Abstracted Landscape with Horse and Rider), c. 1960-63


Untitled (Train and Tunnels), 1954


物故作家で、ニューヨークとそれほど縁のない作家のオープニングとなれば、普通は閑散としているもの。ところが、6時を少し回ったばかりだというのに、ギャラリー内のこの混みようは何だ! まるでスター作家の新作披露といった賑わいではないか。
主役は、マルティン・ラミーレス(1895〜1963)。何を隠そう、私も彼の大ファンで、作品を見る機会が少ないため、本展を早くから心待ちにしていた一人だ。ラミーレスは、セルフトート(独学)の作家で、ニューヨークで常設展示されているのはフォークアート・ミュージアムのみ。それ以外は、恒例のアウトサイダー・アートのフェアで何点か出会う機会があるだけだ。
その度に新しい発見がある。2年前だったか、雑誌の切り抜き写真や文字を応用したコラージュがあるのを知って、心底、感嘆した。マスメディアの引用といい、ポップな感性といい、60年代のメジャーなアートの動きと重なっている。本展では、特徴ある線の動き、とりわけ横並びのアーチを描いたシリーズのミニマルでクールな抽象化に目を奪われた。
実際、2室の展示室に並ぶ全15点に加え、オフィスにもう1点、4枚つなぎのアーチの作品があり、削ぎ落とされたミニマルアートのパワーで迫ってくる。この長大なモノクロ作品は、晩年、ラミーレス自らセロハンテープで貼り合わせたものだという。が、暗い影を落とすアーチの向こうには、何も見えない。板戸が張り巡らされてでもいるかのように、門は閉じられたままだ。
ラミーレスは、メキシコ中部のハリスコ州に生まれ、1925年、30歳の時にカリフォルニアにやって来る。故国に妻子を残しての出稼ぎであり、鉄道敷設や鉱山ブームに沸くカリフォルニアは、まさに夢の国だった。が、29年、大恐慌とそれに伴う外国人排斥の動きの中で失職。浮浪者となってしまった彼は、ある日、警官の尋問を受け、精神病院に収監されてしまう。「英語は喋れない」、あるいは喋ろうとしなかったのか、誰とも口を聞かず、たびたび脱走を試みたという。メキシコに戻りたくても、革命の動乱期とあってままならない。やがて、観念したかのように手近の材料を使って絵を描くようになる。40歳の頃だった。もとより、患者の粗末な絵は、処分されるのが常。この頃のラミーレスの絵も、一切残っていない。
ところが、50歳を過ぎてから別の病院に移され、そこで転機が訪れる。近郊のサクラメント州立大学でアートと心理学を教えるタルモ・パスト博士の目に止まり、ラミーレスのアートは「発見」され、保存されることになるのだ。画材が十分でなかった頃、紙袋の切れ端や薬包紙をマッシュポテトの糊で器用に貼り合わせ、クレヨンがなくなれば、靴墨やジュースの色を使って描いたというラミーレス。晩年は、専用の作業机を与えられるほど大事にされたが、それでも床に紙を広げて描くのが好きだったという。
馬に乗ったガウチョ(カウボーイ)やトンネルを抜ける汽車など、ラミーレス作品に馴染みの絵柄は、彼が経てきた現実世界の投影なのだろう。また、木目調の平行線や波紋のように広がる同心円、それらの執拗な繰り返しは、独特の立体感や絵画空間を生み出している。一度見たら忘れられないその技法に潜む、郷愁や憧憬、出口なしの感覚。生前、大学美術館を中心に4回の個展を開いたラミーレスだったが、当時はいずれも「患者ゆえ」に匿名のままだった。
「旅路」と題された本展は、まさに数奇な生涯を生きた作家の年月を想像させると同時に、多くの支援者によって保存され、公開されることになった作品それ自体の運命、いまこのニューヨークで見ることができるという旅路の果てをも連想させ、感慨深い。実は、パスト博士は、50年代半ば、グッゲンハイム美術館にラミーレス作品10点を寄贈している。が、美術館がその事実に気づいたのは、90年代に入ってから。しかも、郵送当時の紙筒に入ったままだったという。これもまた作品の命運と言うべきか。(藤森愛実)

Martín Ramírez: A Journey
■12月2日(土)まで
■会場:Ricco Maresca Gallery
 529 W. 20th St., 3rd Fl.
■入場無料
www.riccomaresca.com


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